森高次
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 享禄元年(1528年) |
死没 | 慶長2年2月2日(1597年3月19日) |
改名 | 森高次→毛利高次→元水 |
別名 | 通称:九郎左衛門、法名:元水 |
墓所 | 正福寺(愛知県一宮市大和町苅安賀) |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉 |
氏族 | 鯰江氏(森氏)→毛利氏 |
父母 | 父:鯰江定秀、養父:森政次[1] |
兄弟 | 定春(備前守)、鯰江定景、三井秀国[2]、鯰江定興、政次、高次 |
妻 | 室:織田信昌の娘、瀬尾小太郎の娘 |
子 | 毛利重政、毛利高政、毛利吉安 |
森 高次(もり たかつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
略歴
[編集]もとは近江国愛知郡鯰江庄出身で、父は鯰江定秀(貞景)を名乗る。長兄・定春の代で尾張海東郡森村に移住して森姓となった。定春は弟・政次を養嗣とし、政次は尾張国苅安賀に住したが、政次も末弟の高次を養嗣とした。
高次ははじめ織田信長に仕え、信長死後は豊臣秀吉に仕える。尾張愛知郡の御器所・末森・古渡で所領を宛行われた。
文禄の頃、子の高政(友重)が毛利輝元から毛利姓を与えられると、同じく毛利姓を称した。
慶長2年(1597年)2月2日、大坂にて死去。享年71。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 堀田正敦「国立国会図書館デジタルコレクション 毛利氏」『寛政重脩諸家譜. 第6輯』國民圖書、1923年 。
- 高柳光寿; 松平年一『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年、249頁。