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植民地大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イギリスの旗 イギリス
植民地大臣
Secretary of State for the Colonies
種類閣内大臣
所属機関内閣
枢密院
担当機関植民地省
指名首相
任命国王(女王)
初代就任第1期:初代ヒルズバラ伯爵ウィルズ・ヒル
第2期:第2代準男爵ジョージ・グレイ
創設第1期:1768年
第2期:1854年6月12日
最後フレデリック・リー英語版
廃止第1期:1782年3月8日
第2期:1966年8月1日
継承外務・英連邦・開発大臣
職務代行者植民地担当国務次官

植民地大臣(しょくみんちだいじん、: Secretary of State for the Colonies)は、イギリスの内閣にかつて存在した閣僚職。世界中に版図を広げた大英帝国植民地支配に関する事務を取り扱う植民地省を統括した。

歴史

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18世紀大英帝国の植民地が拡大し、その対策が重要となったのを受けて、1768年アメリカおよび植民地大臣(Secretary of State for the American and Colonial Affairs)のポストが新設された[1]。しかし1782年北アメリカ植民地の独立が確実の情勢となったのを受けてこのポストは廃止され、植民地に関する業務は内務大臣が担うことになった[1]

18世紀末にフランス革命戦争が勃発したことで軍事面の統括を強める観点から1801年陸軍大臣が植民地問題を所管することになり、陸軍・植民地大臣(Secretary of State for War and the Colonies)のポストが新設された[1]

19世紀中期のクリミア戦争で陸軍の非効率性が浮き彫りとなったことで陸軍・植民地省改革の動きが強まり、1854年には植民地問題が陸軍から切り離され、改めて陸軍大臣と植民地大臣が設置されることとなった[1]

大英帝国の最盛期であるヴィクトリア朝において植民地大臣は「帝国の使命(Imperial Mission)」を担う者であるという強い自負心を抱く者が多かった。第4代カーナーヴォン伯爵ヘンリー・ハーバートは「帝国主義には二種類あり、一つは皇帝専制などの誤った帝国主義。もう一つは英国の帝国主義だが、これは平和を維持し、現地民を教化し、飢餓から救い、世界各地の臣民を忠誠心によって結び付け、世界から尊敬される政治体制である。帝国主義には確かに領土拡張を伴うが、英国のそれは弱い者イジメではなく、英国の諸制度と健全な影響を必要とあれば武力を用いてでも世界に押し広げていくことに他ならない。」と豪語し[2]。同じくジョゼフ・チェンバレンは「私は第一に大英帝国、第二にイギリス民族を信じる。イギリス民族こそが世界で最も偉大な支配民族であると確信している。これは空虚な誇りではない。現に我らが広大な領土を統治していることで実証されていることだ」[3]、「未開発地域の文明化こそがイギリスの使命である」と豪語していた[4]

ただし大英帝国植民地のうちインドに関する事務はインド大臣が所管した。また1925年以降は植民地のうち自治領(ドミニオン)に関する事務は自治領大臣(1947年には英連邦関係大臣英語版に改名)が担うことになり、植民地省は自治領以外の植民地を所管する役所となった[1]

第二次世界大戦後、大英帝国の植民地はほとんどが独立した。植民地省が管理する植民地臣民の数も1946年には6500万人だったのが、20年後にはその数は十分の一以下まで激減した。役割が減った植民地大臣は、1966年に英連邦関係大臣と合体されて英連邦大臣に改組された。さらにその2年後の1968年には英連邦大臣と外務大臣が合体され、外務・英連邦・開発大臣となり、現在に至っている[5]

植民地大臣一覧

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所属政党

  独立系(無所属)

アメリカおよび植民地大臣 (1768年–1782年)

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肖像 名前
(生没年)
期間 内閣
(首相所属政党)
初代ヒルズバラ伯爵
ウィルズ・ヒル
(1718–1793)
1768年2月27日
-1772年8月27日
グラフトン公内閣
(ホイッグ党)
ノース卿内閣
(トーリー党)
第2代ダートマス伯爵
ウィリアム・レッグ
(1731–1801)
1772年8月27日
-1775年11月10日
ジョージ・ジャーメイン
(1716–1785)
1775年11月10日
-1782年2月
ウェルボア・エリス
(1713–1802)
1782年2月
-1782年3月8日

1782年の植民地大臣ポスト廃止後、1854年の植民地大臣ポスト復活まで植民地に関する事務は以下のポストが担った。

植民地大臣 (1854年–1966年)

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肖像 名前
(生没年)
期間 所属政党 内閣
(首相所属政党)
第2代準男爵
サー・ジョージ・グレイ
(1799–1882)
1854年6月12日
-1855年2月8日
ホイッグ党 アバディーン伯内閣
(ピール派)
シドニー・ハーバート
(1810–1861)
1855年2月8日
-1855年2月23日
ホイッグ党 第1次パーマストン子爵内閣
(ホイッグ党)
ジョン・ラッセル
(1792–1878)
1855年2月23日
-1855年7月21日
ホイッグ党
第8代準男爵
サー・ウィリアム・モールスワース英語版
(1810–1855)
1855年7月21日
-1855年11月21日
急進派英語版
ヘンリー・ラブーシェア
(1798–1869)
1855年11月21日
-1858年2月21日
ホイッグ党
スタンリー卿
エドワード・スタンリー
(1826–1893)
1858年2月26日
-1858年6月5日
保守党 第2次ダービー伯爵内閣
(保守党)
エドワード・ブルワー=リットン
(1803–1873)
1858年6月5日
-1859年6月11日
保守党
第5代ニューカッスル公爵
ヘンリー・ペラム=クリントン
(1811–1864)
1859年6月18日
-1864年4月7日
自由党 第2次パーマストン子爵内閣
(自由党)
エドワード・カードウェル
(1813–1886)
1864年4月7日
-1866年6月26日
自由党
第2次ラッセル伯爵内閣
(自由党)
第4代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ハーバート
(1831–1890)
1866年7月6日
-1867年3月8日
保守党 第3次ダービー伯爵内閣
(保守党)
バッキンガム=シャンドス公爵
リチャード・テンプル=グレンヴィル
(1823–1889)
1867年3月8日
-1868年12月1日
保守党
第1次ディズレーリ内閣
(保守党)
第2代グランヴィル伯爵
グランヴィル・ルーソン=ゴア
(1815–1891)
1868年12月9日
1870年7月6日
自由党 第1次グラッドストン内閣
(自由党)
初代キンバリー伯爵
ジョン・ウッドハウス
(1826–1902)
1870年7月6日
-1874年2月17日
自由党
第4代カーナーヴォン伯爵
ヘンリー・ハーバート
(1831–1890)
1874年2月21日
-1878年2月4日
保守党 第2次ディズレーリ内閣
(保守党)
サー・マイケル・ヒックス・ビーチ
(1837–1916)
1878年2月4日
-1880年4月21日
保守党
初代キンバリー伯爵
ジョン・ウッドハウス
(1826–1902)
1880年4月21日
-1882年12月16日
自由党 第2次グラッドストン内閣
(自由党)
第15代ダービー伯爵
エドワード・スタンリー
(1826–1893)
1882年12月16日
-1885年6月9日
自由党
フレデリック・スタンリー
(1841–1908)
1885年6月24日
-1886年1月28日
保守党 第1次ソールズベリー侯爵内閣
(保守党)
第2代グランヴィル伯爵
グランヴィル・ルーソン=ゴア
(1815–1891)
1886年2月6日
-1886年7月20日
自由党 第3次グラッドストン内閣
(自由党)
エドワード・スタンホープ英語版
(1840–1893)
1886年8月3日
-1887年1月14日
保守党 第2次ソールズベリー侯爵内閣
(保守党)
初代ナッツフォード子爵英語版
ヘンリー・ホランド英語版
(1825–1914)
1887年1月14日
-1892年8月11日
保守党
初代リポン侯爵
ジョージ・ロビンソン
(1827–1909)
1892年8月18日
-1895年6月21日
自由党 第4次グラッドストン内閣
(自由党)
ローズベリー伯爵内閣
(自由党)
ジョゼフ・チェンバレン
(1836–1914)
1895年6月29日
-1903年9月16日
自由統一党 第3次ソールズベリー侯爵内閣
(保守党)
バルフォア内閣
(保守党)
アルフレッド・リトルトン英語版
(1857–1913)
1903年10月11日
-1905年12月4日
自由統一党
第9代エルギン伯爵
ヴィクター・ブルース
(1849–1917)
1905年12月10日
-1908年4月12日
自由党 キャンベル=バナマン内閣
初代クルー侯爵
ロバート・クルー=ミルンズ
(1858–1945)
1908年4月12日
-1910年11月3日
自由党 アスキス内閣
(自由党)
初代ハーコート子爵英語版
ルイス・ハーコート英語版
(1863–1922)
1910年11月3日
-1915年5月25日
自由党
アンドルー・ボナー・ロー
(1858–1923)
1915年5月25日
-1916年12月10日
保守党 アスキス挙国一致内閣
(自由党)
ウォルター・ロング英語版
(1854–1924)
1916年12月10日
-1919年1月10日
保守党 ロイド・ジョージ挙国一致内閣
(自由党)
初代ミルナー子爵
アルフレッド・ミルナー
(1854–1925)
1919年1月10日
-1921年2月13日
自由党
ウィンストン・チャーチル
(1874–1965)
1921年2月13日
-1922年10月19日
自由党
第9代デヴォンシャー公爵
ヴィクター・キャヴェンディッシュ
(1868–1938)
1922年10月24日
-1924年1月22日
保守党 ロー内閣
(保守党)
第1次ボールドウィン内閣
(保守党)
ジェイムズ・ヘンリー・トマス英語版
(1874–1949)
1924年1月22日
-1924年11月3日
労働党 第1次マクドナルド内閣
(労働党)
レオ・アメリー英語版
(1873–1955)
1924年11月6日
-1929年6月4日
保守党 第2次ボールドウィン内閣
(保守党)
初代パスフィールド男爵
シドニー・ウェッブ
(1859–1947)
1929年6月7日
-1931年8月24日
労働党 第2次マクドナルド内閣
(労働党)
ジェイムズ・ヘンリー・トマス英語版
(1874–1949)
1931年8月25日
-1931年11月5日
挙国派労働機構英語版 マクドナルド挙国一致内閣
(挙国派労働機構)
フィリップ・カンリフ=リスター英語版
(1884–1972)
1931年11月5日
-1935年6月7日
保守党
マルコム・マクドナルド英語版
(1901–1981)
1935年6月7日
-1935年11月22日
挙国派労働機構 第3次ボールドウィン内閣
(保守党)
ジェイムズ・ヘンリー・トマス英語版
(1874–1949)
1935年11月22日
-1936年5月22日
挙国派労働機構
ウィリアム・オームズビー=ゴア英語版
(1885–1964)
1936年5月28日
-1938年5月16日
保守党
チェンバレン内閣
(保守党)
マルコム・マクドナルド英語版
(1901–1981)
1938年5月16日
-1940年5月12日
挙国派労働機構
チェンバレン戦時内閣
(保守党)
初代ロイド男爵
ジョージ・ロイド英語版
(1879–1941)
1940年5月12日
-1941年2月4日
保守党 チャーチル戦時内閣
(保守党)
初代モイン男爵
ウォルター・ギネス
(1880–1944)
1941年2月8日
-1942年2月22日
保守党
クランボーン子爵
ロバート・ガスコイン=セシル
(1893–1972)
1942年2月22日
-1942年11月22日
保守党
オリヴァー・スタンリー英語版
(1896–1950)
1942年11月22日
-1945年7月26日
保守党
チャーチル暫定内閣
(保守党)
ジョージ・ホール英語版
(1881–1965)
1945年8月3日
-1946年10月4日
労働党 アトリー内閣
(労働党)
アーサー・クリーチ・ジョーンズ英語版
(1891–1964)
1946年10月4日
-1950年2月28日
労働党
ジム・グリフィス英語版
(1890–1975)
1950年2月28日
-1951年10月26日
労働党
オリヴァー・リトルトン
(1893–1972)
1951年10月28日
-1954年7月28日
保守党 第3次チャーチル内閣
(保守党)
アラン・レノックス=ボイド英語版
(1904–1983)
1954年7月28日
-1959年10月14日
保守党
イーデン内閣
(保守党)
マクミラン内閣
(保守党)
イアン・マクラウド英語版
(1913–1970)
1959年10月14日
-1961年10月9日
保守党
レジナルド・モードリング英語版
(1917–1979)
1961年10月9日
-1962年7月13日
保守党
ダンカン・サンズ英語版
(1908–1987)
1962年7月13日
-1964年10月16日
保守党
ダグラス=ヒューム内閣
(保守党)
アンソニー・グリーンウッド英語版
(1911–1982)
1964年10月18日
-1965年12月23日
労働党 第1次-第2次ウィルソン内閣
(労働党)
第7代ロングフォード伯爵英語版
フランク・パッケナム英語版
(1905–2001)
1965年12月23日
-1966年4月6日
労働党
フレデリック・リー英語版
(1906–1984)
1966年4月6日
-1966年8月1日
労働党

植民地大臣廃止後、以下のポストが植民地に関する事務を管掌している。


脚注

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出典

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参考文献

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  • 池田清『政治家の未来像 ジョセフ・チェムバレンとケア・ハーディー』有斐閣、1962年(昭和37年)。ASIN B000JAKFJW 
  • 坂井秀夫『政治指導の歴史的研究 近代イギリスを中心として』創文社、1967年(昭和42年)。ASIN B000JA626W 
  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478 
  • モリス, ジャン 著、椋田直子 訳『ヘブンズ・コマンド 大英帝国の興隆 下巻』講談社、2008年。ISBN 978-4062138918