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植田謙輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

植田 謙輔(うえだ けんすけ、1860年9月13日万延元年7月28日[1] - 1927年昭和2年)2月3日)は、日本篤農家[2]政治家(山口県豊浦郡彦島村長[3]実業家。彦島電気取締役[4]。族籍は山口県平民[4]。大彦島建設第一の功労者であった[3]

人物

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長門国彦島(現・山口県下関市)出身。植田藤左衛門の長男[3]。第2代村長田代寅次郎に用いられて1890年助役に就職し、1891年、第3代村長の要職に就いた[1]。一意村治のために村長として約30年の永きにわたり心血を注いだ[3]

郡の町村長会副会長となり、種々な公的名誉職に関与した[3]。自治功労者として表彰された[3]。『彦島大観』で「彦島の元勲として崇敬すべき歴史的人物である。」と紹介されている[3]。住所は山口県豊浦郡彦島村[4]

家族・親族

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植田家
  • 父・藤左衛門1835年 - ?、豪農[1]、山口平民[4]
    • ヒサコ[4]
    • タツ[4]
    • サカ(富田民蔵の長男の妻)[4]
  • 妻・トナ1873年 - ?、山口、富田松蔵の妹)[4]
  • 長女・チヨ1890年 - ?、分家)[4]
  • 男(1893年 - ?)[4]
  • 三女・アサコ1898年 - ?、富田チヨの指定相続人となる)[4]
  • 男・忠雄1900年 - ?)[4]
  • 女・キクエ1904年 - ?)[4]
  • 四男・[4]1905年 - ?、彦島町老郵便局長)[5] - 兄・忠雄の後を相続することになっていたが、後都合あって老郵便局長・植田政亮を承継した[5]
  • 女・シツコ1907年 - ?)[4]
  • 五男(1913年 - ?)[4]

脚注

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  1. ^ a b c 『栄える彦島 郷土読本』105 - 107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月12日閲覧。
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 『彦島大観』163頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第6版』う40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月12日閲覧。
  5. ^ a b 『山口県史 下巻』306 - 307頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月16日閲覧。

参考文献

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  • 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 加瀬谷弥一『彦島大観』関門報知新聞社、1926年。
  • 彦島町教育会編『栄える彦島 郷土読本』山口県彦島町教育会、1933年。
  • 山口県史編纂所編『山口県史 下巻』山口県史編纂所、1934年。