楊乃時
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楊乃時 | |
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今村俊三ほか『満洲国人傑紹介号』(1936年) | |
プロフィール | |
出生: | 1888年(光緒14年)1月[1][2][3][4] |
死去: | 没年不詳 |
出身地: | 清盛京将軍管轄区遼中県[1][2][3] |
職業: | 官僚・医師 |
各種表記 | |
繁体字: | 楊乃時 |
簡体字: | 杨乃时 |
拼音: | Yáng Nǎishí |
ラテン字: | Yang Nai-shih |
和名表記: | よう ないじ/よう だいじ |
発音転記: | ヤン・ナイシー |
楊 乃時(よう ないじ/よう だいじ、1888年1月[4] – 没年不詳)は、中華民国・満洲国の官僚。別号は雪門[2]。
事績
[編集]奉天法政専門学校を卒業。中華民国時代は奉天高等審判長主任書記官、松北市政局鉄路専員、黒竜江省鶴崗県煤鉱公司工務科長、黒竜江省官銀号稽核呼海鉄路公司秘書を歴任した[3]。
1932年(大同元年)の満洲国建国前後に黒竜江省財政庁秘書となる。同年8月に竜江県長となり、その後にチチハル市長に起用される。1938年(康徳5年)7月、竜江省民生庁長となり、翌1939年(康徳6年)4月、吉林省税務監督署長に移る。その後、地政総局長に任命され[1]、1943年(康徳10年)9月13日、通化省長に移り[5]、満洲国崩壊までつとめた。
満洲国崩壊後における楊乃時の行方は不詳となっている。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第十四版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 12』創元社、1940年。
- 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
満州国
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