楊根郡
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楊根郡(ヤングンぐん、ようこんぐん、朝鮮語: 양근군)は、現在の京畿道楊平郡にあった行政区域[1]。
沿革
[編集]元は高句麗の楊根郡・去斯斬(コサチャム、朝鮮語: 거사참)・恒陽郡(ハンヤンぐん、こうようぐん、朝鮮語: 항양군)であったが、新羅の景徳王の時、名を浜陽と改めて、沂川郡の領県とした[1]。
高麗初に楊根県と改称、1018年(顕宗9年)に広州の属県になった[1]。1257年(高宗44年)に永化と改称したが、1269年(元宗10年)には益和県と改め、県令を置いた[1]。1356年(恭愍王5年)に楊根郡に昇格し、李氏朝鮮時代にもそのまま従った[1]。
1658年(孝宗9年)、砥平郡に編入されたものの、1668年(顕宗9年)、また楊根郡を置いた[1]。1728年(英祖4年)、県に降格されたが、1741年(英祖17年)に旧に復し、1776年(正祖元年)、再び県に降格されたが、1784年(正祖8年)に旧に復した[1]。
これより先、1747年(英祖23年)に葛山に治所を移しており、1895年(高宗32年)に春川府楊根郡に改編され[3]、1896年(建陽元年)には、また京畿道楊根郡に改編された[4]ものの、1908年9月に砥平郡と合併し楊平郡となった[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 「양근현 陽根縣」(朝鮮語)『增補 새國史事典 (ENCYCLOPEDIA OF KOREAN HISTORY [증보] 새 국사사전)』(増補1版12刷)敎學社、ソウル、1996年。ISBN 8909005068。
- ^ a b 勅令第69号 郡を合わせるのに関する案件(朝: 칙령 제69호 군을합치는데관한안건(勅令 第六十九號 郡을合치는데關한案件))
- ^ 勅令第98号 地方制度の改定に関する案件(朝: 칙령 제98호 지방제도의개정에관한안건(勅令 第九十八號 地方制度의改定에關한案件))
- ^ 勅令第36号 地方制度と官制改定に関する案件(朝: 칙령 제36호 지방제도와관제개정에관한안건(勅令 第三十六號 地方制度와官制改定에關한案件))