楯縫古墳
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楯縫古墳 | |
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別名 | 楯縫1号墳 |
所属 | 楯縫古墳群 |
所在地 | 兵庫県豊岡市日高町鶴岡67-3(字森垣) |
位置 | 北緯35度27分54.97秒 東経134度47分48.70秒 / 北緯35.4652694度 東経134.7968611度座標: 北緯35度27分54.97秒 東経134度47分48.70秒 / 北緯35.4652694度 東経134.7968611度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径27-29m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 金環・鉄刀・刀子・鉄鏃・鞘尻金具・鋲・馬具・須恵器・土師器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 兵庫県指定史跡「楯縫古墳」 |
地図 |
楯縫古墳(たてぬいこふん、楯縫1号墳)は、兵庫県豊岡市日高町鶴岡にある古墳。形状は円墳。楯縫古墳群を構成する古墳の1つ。兵庫県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]兵庫県北部、円山川中流域東岸の多田屋谷の山裾(標高37メートル)に築造された古墳である。一帯には古墳約50基が7支群に分布して後期群集墳(楯縫古墳群)を形成し、本古墳はそのうち最大規模になる。盗掘に遭っており、墳丘の大部分は失われているほか、1974年(昭和49年)に調査が実施されている。
墳形は円形で、東西約29メートル・南北約27メートルを測る[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、西方向に開口する。石室全長13メートルを測る大型石室で、但馬地方では最大級の規模になる。石室内は盗掘に遭っているが、調査では金環・鉄刀・刀子・鉄鏃・鞘尻金具・鋲・馬具(轡・鐙・鉸具)・須恵器・土師器が検出されている。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半頃と推定され、その後の追葬が想定される[1][2]。但馬地方では屈指の横穴式石室墳であり、但馬国府の成立を考察するうえで重要視される古墳になる[2]。
古墳域は1977年(昭和52年)に兵庫県指定史跡に指定されている。
遺跡歴
[編集]埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:13メートル
- 玄室:長さ5メートル、幅2.3メートル、高さ3.4メートル
石室の床面には河原石を敷く[1]。
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銀象嵌刀装具
但馬国府・国分寺館展示(他画像も同様)。 -
武器・馬具
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須恵器
文化財
[編集]兵庫県指定文化財
[編集]- 史跡
- 楯縫古墳 - 1977年(昭和52年)3月29日指定。
関連施設
[編集]- 豊岡市立歴史博物館「但馬国府・国分寺館」(豊岡市日高町祢布) - 楯縫古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(兵庫県教育委員会、1989年設置)
- 岡﨑正雄「楯縫古墳群」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「楯縫古墳」『兵庫県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系29〉、1999年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 武庫川女子大学考古学研究会 編『楯縫古墳・岩倉古墳群調査報告書』兵庫県城崎郡日高町教育委員会〈日高町文化財調査報告書第3集〉、1976年。
- 「楯縫古墳群」『日高町史』 資料編、日高町教育委員会、1980年。