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樋ノ口駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
樋ノ口駅
ひのくち
HINOKUCHI
横手 (6.3 km)
(1.5 km) 東浅舞
地図
所在地 秋田県平鹿郡平鹿町醍醐
(現・横手市平鹿町醍醐
北緯39度16分9.2秒 東経140度31分24.5秒 / 北緯39.269222度 東経140.523472度 / 39.269222; 140.523472座標: 北緯39度16分9.2秒 東経140度31分24.5秒 / 北緯39.269222度 東経140.523472度 / 39.269222; 140.523472
所属事業者 羽後交通
所属路線 横荘線
キロ程 6.3 km(横手起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1918年大正7年)8月18日
廃止年月日 1971年昭和46年)7月20日
備考 横荘線廃線に伴い廃駅
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樋ノ口駅(ひのくちえき)は、秋田県平鹿郡平鹿町醍醐(開業時は旧・平鹿郡醍醐村下樋口、現・横手市平鹿町醍醐)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年昭和46年)7月20日に廃駅となった。

なお、駅名表記は「樋ノ口」と「樋の口」が混在しているが、本項は羽後交通横荘線の研究書『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行)にて採用されている「樋ノ口」にて記載する。

歴史

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駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[7]。ホームは線路の南側(老方方面に向かって左手側)に存在した[7]転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]

無人駅となっており[4][7]、駅舎は無いがホーム東側出入口附近に待合所を有した[7]。待合所は比較的新しい作りであった[7]。ホームは横手方に階段を有し[7]駅施設外に連絡していた。

駅名は、羽後交通の資料には「樋口」「樋口」の双方が使用されていた[7]

駅周辺

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周囲は水田であった[7]

  • 善福寺

駅跡

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1999年平成11年)時点では、すでに区画整理がされており、駅跡は残っていなかった[8]

また、当駅跡附近の線路跡は1999年(平成11年)時点では道路に転用されていた[8]

隣の駅

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羽後交通
横荘線
横手駅 - 樋ノ口駅 - 東浅舞駅
かつて横手駅と当駅との間に栄村駅(栄村停留場)が存在した(1918年(大正7年)8月18日開業、1921年(大正10年)5月1日廃止)[2][注 1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 別説として1921年(大正10年)4月1日廃止説あり(書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年6月発行)43ページより。)。

出典

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  1. ^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介新潮社2008年6月発行)43ページより。
  2. ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)222ページより。
  3. ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 3 東北』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2010年8月発行)25-28,30-31ページより。
  4. ^ a b 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)165ページより。
  5. ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)82-85ページより。
  6. ^ a b 書籍『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング2004年9月発行)16-17ページより。
  7. ^ a b c d e f g h i 書籍『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング2004年9月発行)6-7,10ページより。
  8. ^ a b 書籍『とうほく廃線紀行』(無明舎出版1999年12月発行)60ページより。

関連項目

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