樋ノ口駅
表示
樋ノ口駅 | |
---|---|
ひのくち HINOKUCHI | |
◄横手 (6.3 km) (1.5 km) 東浅舞► | |
所在地 |
秋田県平鹿郡平鹿町醍醐 (現・横手市平鹿町醍醐) |
所属事業者 | 羽後交通 |
所属路線 | 横荘線 |
キロ程 | 6.3 km(横手起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1918年(大正7年)8月18日 |
廃止年月日 | 1971年(昭和46年)7月20日 |
備考 | 横荘線廃線に伴い廃駅 |
樋ノ口駅(ひのくちえき)は、秋田県平鹿郡平鹿町醍醐(開業時は旧・平鹿郡醍醐村下樋口、現・横手市平鹿町醍醐)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の駅(廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年(昭和46年)7月20日に廃駅となった。
なお、駅名表記は「樋ノ口」と「樋の口」が混在しているが、本項は羽後交通横荘線の研究書『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行)にて採用されている「樋ノ口」にて記載する。
歴史
[編集]- 1918年(大正7年)8月18日:横荘鉄道横手駅 - 沼舘駅間開通に伴い開業[1][2][3][4]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:鉄道会社名を羽後鉄道に改称。路線名を横荘線に制定。それに伴い羽後鉄道横荘線の駅となる[1][2][5]。
- 1947年(昭和22年)
- 1952年(昭和27年)2月15日:鉄道会社名を羽後交通に改称。それに伴い羽後交通横荘線の駅となる[1][2][3][5]。
- 1971年(昭和46年)7月20日:横荘線の廃線に伴い廃止となる[1][2][3][5]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[7]。ホームは線路の南側(老方方面に向かって左手側)に存在した[7]。転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]。
無人駅となっており[4][7]、駅舎は無いがホーム東側出入口附近に待合所を有した[7]。待合所は比較的新しい作りであった[7]。ホームは横手方に階段を有し[7]駅施設外に連絡していた。
駅名は、羽後交通の資料には「樋ノ口」「樋の口」の双方が使用されていた[7]。
駅周辺
[編集]周囲は水田であった[7]。
- 善福寺
駅跡
[編集]1999年(平成11年)時点では、すでに区画整理がされており、駅跡は残っていなかった[8]。
また、当駅跡附近の線路跡は1999年(平成11年)時点では道路に転用されていた[8]。
隣の駅
[編集]- 羽後交通
- 横荘線
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 別説として1921年(大正10年)4月1日廃止説あり(書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年6月発行)43ページより。)。
出典
[編集]- ^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年6月発行)43ページより。
- ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)222ページより。
- ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 3 東北』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年8月発行)25-28,30-31ページより。
- ^ a b 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)165ページより。
- ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)82-85ページより。
- ^ a b 書籍『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行)16-17ページより。
- ^ a b c d e f g h i 書籍『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング、2004年9月発行)6-7,10ページより。
- ^ a b 書籍『とうほく廃線紀行』(無明舎出版、1999年12月発行)60ページより。