権蔵橋 (富山県)
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権蔵橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 富山県黒部市 - 下新川郡入善町 |
交差物件 | 黒部川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 富山県道45号黒部朝日公園線 |
管理者 | 富山県 |
施工者 | 川田工業・佐藤鉄工 |
着工 | 1995年(平成7年)[1] |
開通 | 2002年(平成14年)5月31日[1] |
座標 | 北緯36度53分12.3秒 東経137度30分22.1秒 / 北緯36.886750度 東経137.506139度 |
構造諸元 | |
形式 | 鋼10径間連続箱桁橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 535.0 m[1] |
幅 | 16.5 m |
最大支間長 | 53.5 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
権蔵橋(ごんぞうばし)は、富山県黒部市および下新川郡入善町の黒部川に架かる富山県道45号黒部朝日公園線の橋長535 m(メートル)の桁橋である[1]。
概要
[編集]- 左岸:富山県黒部市若栗[1]
- 右岸:富山県下新川郡入善町小摺戸[1]
- 橋格 - B活荷重
- 形式 - 鋼10径間連続箱桁橋
- 橋長 - 535.0 m
- 支間割 - 52.8 m+8×53.5 m+3×52.8 m
- 幅員
- 有効幅員 - 16.50 m
- 車道 - 9.50 m
- 歩道 - 両側3.50 m
- 床版 - 鉄筋コンクリート
- 総鋼重 - 3 008 t
- 施工 - 川田工業・佐藤鉄工
- 工法 - トラッククレーン・ベント工法
沿革
[編集]元々は渡し船で渡河していたが、黒部川扇状地の交通事情改善を目的に1916年(大正5年)に吊橋を架けた[3]。その後、1934年(昭和9年)に洪水で流失したことに伴い[4]、1937年(昭和12年)2月に長さ700 m、幅3間(当時富山県最大)の橋を設置した[5][6]が度々流失していたため、三日市出身の代議士・寺島権蔵によって全長541 m、幅員6 mの木橋が架けられた。その後、1952年に中央部が流出するなどして[7]中央部のみ永久橋化され2径間のポニートラス橋となった[8]が、この橋も1957年(昭和32年)に洪水で流失した[4]。復旧した後の1967年(昭和43年)に木橋の一部長さ217 mが単純合成桁橋に置換され、1968年(昭和43年)3月に富山県により全部が永久橋(鋼トラス桁橋[9]、長さ541 m、幅5.5 m[5])化され[1][10]、同年5月1日に完成した[11](1967年(昭和42年)2月着工、総工費1億8,400万円[12])。
その後、北陸新幹線開業を見据えた黒部宇奈月温泉駅へのアクセス道路の整備に伴い、富山県が1995年(平成7年)から新橋の建設に着手、2002年(平成14年)5月31日に開通した。これに伴い、先代の橋は撤去された[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『魚津・黒部・下新川写真帖』(2007年4月15日、郷土出版社発行)p62「黒部川に架かる権蔵橋」より。
- ^ “橋梁年鑑 平成14年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 204, 205. 2021年3月6日閲覧。
- ^ “権蔵橋1916”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年3月6日閲覧。
- ^ a b 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)133頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)365ページ
- ^ “権蔵橋1937-2”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年3月6日閲覧。
- ^ “権蔵橋1948”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年3月6日閲覧。
- ^ “権蔵橋1954”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年3月6日閲覧。
- ^ 『富山大百科事典 上巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)694ページ。
- ^ “権蔵橋1968-3-20”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年3月6日閲覧。
- ^ 『広報にゅうぜん 昭和29年9月~昭和58年3月 縮刷版』(1983年10月1日、入善町役場発行)『あゆみ』12頁より。
- ^ 『広報にゅうぜん 第136号』(1968年5月1日、富山県入善町役場発行)1頁『権蔵橋完成』より。