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横山峰弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
よこやま みねひろ

横山 峰弘
生誕 (1969-01-23) 1969年1月23日(55歳)
東京都
住居 群馬県みなかみ町
国籍 日本の旗 日本
職業 トレイルランナー
著名な実績 UTMB 6位
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横山 峰弘(よこやま みねひろ、1969年(昭和44年)1月23日 - )は、東京都出身のトレイルランナー(登山マラソン)。日本を代表するトップトレイルランナーであると同時に、山岳ガイドラフティングリバーガイドなど様々な資格を所有しその普及活動に従事している。THE NORTH FACE所属。現在はトレーニングのため群馬県みなかみ町在住。

経歴・人物

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幼少期からスキーを始める。中学、高校時代はサッカーに没頭したが、大学時代にプロスキーヤー三浦雄一郎氏代表のミウラドルフィンズのアシスタントスタッフとして山岳スキーや登山など様々なアウトドアスポーツを経験。その後、競技者としてトライアスロンや山岳レースへの参加を始める。29歳の時にアドベンチャーレースと出会い、世界で最も過酷といわれる「レイド・ゴロワーズ」に日本チームの一員として参戦。以来、プロアドベンチャーレーサーとして国内外の大会で活躍する。

2007年よりトレイルランニングに専念し、38歳にして世界最高峰のトレイルランレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」(UTMB、走行距離166km、制限時間46時間、獲得標高差9400m+)に初参戦する。レース中に、腱断裂のアクシデントに見舞われながらも221位で完走を果たす。その後、懸命な治療とリハビリを行い、翌2008年、国内のトレイルランニングレースで頂点に立つ。2009年、UTMBに2度目の挑戦を果たし、参加者2286人中、6位入賞という堂々たる成績を収めた。2010年8月、3度目のUTMB挑戦で更なる上位進出を目指したが、現地悪天候のため30km地点でレースが中止となるまさかの事態に無念の涙を飲んだ。

主な戦歴

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年月 大会 順位
1998年 レイド・ゴロワーズ(エクアドル) 24位
サザン・トラバース(ニュージーランド) 4位
1999年 レイド・ゴロワーズ(チベット・ネパール) 24位
2001年 レイド・インターナショナル・ウカタック 3位
2004年 日本山岳耐久レース(ハセツネカップ) 優勝
2005年 日本山岳耐久レース(ハセツネカップ) 2位
全日本山岳スキー競技選手権大会 優勝
セルフディスカバリーin王滝 優勝
スキーマウンテニアニング韓国選手権 3位
伊豆アドベンチャーレース 2位
2006年 全日本山岳スキー競技選手権大会 優勝
秋川渓谷自然人レース 2位
インターナショナル・マウンテンアウトドアスポーツ・チャレンジ 優勝
プライマル・クエスト 19位
日本山岳耐久レース(ハセツネカップ) 3位
2007年 スキーマウンテニアニング韓国選手権 2位
山岳スキー競技日本選手権大会 3位
ウルトラトレイル・デュ・モンブラン 221位
2008年 スキーマウンテニアニング韓国選手権 2位
エクステラ丸沼高原トレイルランニングレース 優勝
日本山岳耐久レース(ハセツネカップ) 3位
2009年 山岳スキー競技日本選手権大会 3位
おんたけウルトラトレイル 3位
ウルトラトレイル・デュ・モンブラン 6位
2011年 おんたけウルトラトレイル 3位
2012年 ウルトラトレイル・マウントフジ 5位
トランス・ニューカレドニア 6位

外部リンク

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