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横山義祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
横山義祐
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正5年12月15日?(1578年1月22日
別名 藤左衛門(通称)
氏族 赤松氏横山氏
父母 赤松政元
兄弟 赤松正満赤松政範赤松政直
赤松政茂義祐福原則尚
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横山 義祐(よこやま よしすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将播磨国室山城主。

生涯

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赤松政元の五男とされる。

『播州佐用軍記』には「藤左衛門義祐」と記され、「亀甲の中に、右文字を付けたる茜の旗」を旗指物にしていたという。

天正5年(1577年)、織田氏家臣・羽柴秀吉上月城攻撃により落城後、4人の家臣(石生某、荒尾某、登尾某など)を連れて美作国英田郡粟井[1]に逃れた。

義祐と家臣の末裔は、江戸時代に入り郷士として明治まで存続した。

脚注

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  1. ^ 現在の岡山県美作市

出典

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  • 浜田洋『佐用の史跡と伝説 改訂増補』1973年 (株)千種川レクリエーション
  • 『播州佐用軍記』[要文献特定詳細情報]