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横川元代議士襲撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
襲撃後、自宅療養中の横川元代議士

横川元代議士襲撃事件(よこかわもとだいぎししゅうげきじけん)とは、1952年8月7日埼玉県比企郡大河村(現小川町)で発生したテロ事件。

事件の概要

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1952年8月7日、日本共産党の独立遊撃隊(中核自衛隊から選抜された精鋭部隊)13人が、元代議士武蔵野銀行取締役横川重次宅を襲った[1]

横川重次本人に「世直し状」なる脅迫状を突きつけて、体中を斬りつけて重傷を負わせた。また別の一団が家政婦や横川の次男を縛って金目の物を探したが、肝心の金庫が開かず、そのまま逃走した[2]

その後の顛末

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その後の捜査で、犯行に至る経緯を記した手記や文書が発見され、日本共産党の計画的犯行であることが判明した[3][4]

犯人の1人は「横川は元代議士で、広大な山林を所有している封建地主であり、人民の敵であるから殺して金を奪い、その金は日共の活動資金にする」予定であったと供述した。

第一審の浦和地裁では、検察側が遊撃隊長に無期懲役被告全員に有罪を求刑した[5]判決では、隊長に懲役二十年など、(火炎瓶投擲に関して無罪となったため)執行猶予がついた一部の判決を除き大半の被告が実刑となった[6][7][8]。また、裁判の判決で、この事件が日本共産党関係の暴力的活動であったことと、28年4月革命説実現のための資金集め目的の強盗であったことを認定している[9]。 なお、控訴審東京高裁では隊長に懲役15年などの減刑判決が下り[9]最高裁棄却により確定した[10][11][12]。一方、「でっちあげ」刊行委員会による『でっちあげ 横川事件の真相』(横川事件犠牲者救援会、1962年)では、冤罪が主張されている。

脚注

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  1. ^ 朝日新聞 1952年8月22日 東京/朝刊 3頁 「謀議に十三名参加 襲撃前には予備訓練_横川元次官襲撃事件」
  2. ^ 朝日新聞 1952年8月8日 東京/夕刊 2頁 「横川元代議士刺さる 三青年 果し状?突きつけ_横川元次官襲撃事件」
  3. ^ 朝日新聞 1952年8月16日 東京/夕刊 3頁 「“日共テロ”に有力資料 捜査当局者談 数日中新展開_横川元次官襲撃事件」
  4. ^ 朝日新聞 1952年8月17日 東京/朝刊 3頁 「襲撃の秘密文書発見 日共工作と当局確認_横川元次官襲撃事件」
  5. ^ 朝日新聞 1953年5月27日 東京/朝刊 5頁 「西部遊撃隊長は無期 全員に有罪の求刑_横川事件」
  6. ^ 朝日新聞 1953年7月18日 東京/夕刊 3頁 「主犯に二十年 横川事件九被告に判決_横川事件」
  7. ^ 朝日新聞 1953年7月21日 東京/夕刊 3頁 「転向の被告に懲役八年 もう一人は十一年の判決_横川事件」
  8. ^ 朝日新聞 1953年8月7日 東京/夕刊 3頁 「火炎ビンに無罪 横川事件の日共党員に判決_判決」
  9. ^ a b 朝日新聞 1955年4月2日 東京/夕刊 3頁 「九被告に減刑判決 横川事件、原判決を破棄_判決」
  10. ^ 朝日新聞 1957年1月22日 東京/夕刊 7頁 「最高裁、上告を棄却 横川事件九被告の有罪確定_判決」
  11. ^ 朝日新聞 1957年2月7日 東京/夕刊 3頁 「最高裁で上告棄却の言渡し 横川事件_判決」
  12. ^ 朝日新聞 1957年8月1日 東京/夕刊 3頁 「横川事件の被告、判決確定 懲役七年_判決」

参考文献

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  • 日本共産党の戦後秘史』(兵本達吉 2005年)
  • 「でっちあげ」刊行委員会『でっちあげ 横川事件の真相』(横川事件犠牲者救援会、1962年)

関連項目

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