横川泉
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名前 | ||||||
本名 | 横川 泉 | |||||
カタカナ | ヨコカワ イズミ | |||||
ラテン文字 | YOKOKAWA Izumi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1963年2月25日(61歳)[1] | |||||
出身地 | 山梨県[1] | |||||
身長 | 183cm[1] | |||||
体重 | 80kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK[1] | |||||
ユース | ||||||
1978-1980 | 韮崎高校[1] | |||||
1971-1984 | 明治大学[1] | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1985-1992 | フジタ | 112 | (0) | |||
1992-1994 | 日産/横浜マリノス | 0 | (0) | |||
通算 | 112 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年9月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
横川 泉(よこかわ いずみ、1963年2月25日 - )とは、日本の元サッカー選手。選手時代のポジションはGK。高校選抜、ユース代表、全日本B代表、日本代表候補の経歴がある。
人物
[編集]身体能力に恵まれたゴールキーパー[1] で、フジタ工業での日本サッカーリーグ(112試合1部通算84試合/2部28試合)の経験を買われてJリーグ開幕を控えた1992年に横浜マリノスへ移籍した。
学生時代
[編集]サッカーの盛んな山梨県韮崎市で生まれる。実家は畳屋を営み、三人兄弟の末っ子として育つ。小学校4年時に韮崎サッカースポーツ少年団が開団し、そこに入団。GKとしての基礎を学ぶ。
中学は韮崎西中学に進学、3年時に山梨中学総体で優勝。高校は名門の山梨県立韮崎高等学校へ進学し、1年次よりレギュラーとして活躍。高1の時は関東大会、インターハイ、高校選手権と全国大会に出場する。高2の時は、全国高校サッカー選手権で決勝まで進出、帝京高校に4-0で敗れ準優勝となる。それと同時に大会優秀選手に選ばれる。高3では、インターハイでベスト8、全国高校サッカー選手権では全国3位となる。この時に大会1か月前に右足の腓骨骨折のアクシデントにみまわれるが、それを押しての活躍で高評価を受ける。この大会で2年連続の大会優秀選手と高校選抜に選出され、オランダ・ドイツ遠征に参加する。
大学は明治大学に進学。高校時代の活躍が評価され、1年次からレギュラーとして活躍する。また、大学1年時に日本ユース代表に選ばれ、リエカ国際ユース大会に参加するが予選敗退。4年時には、関東大学サッカー2部リーグで優勝。この時にゲームキャプテンを務めるなど、チームの大黒柱として活躍した。また1部リーグの日大との入れ替え戦に出場し、4-1で勝利してチームの1部復帰の原動力となる。この時に関東大学サッカーリーグ2部ベストイレブンと4年間連続出場賞に輝く。
日本リーグ・Jリーグ時代
[編集]1985年、明治大学を卒業し日本サッカーリーグ1部のフジタ工業に加入。 1年目からレギュラーに抜擢される。その年の第65回天皇杯では決勝に進出、日産と対戦して2-0で敗れ準優勝となる。2年目のシーズンに、ソウルオリンピック出場を目指す日本代表候補に選出される。また、日本選抜に選ばれ、南米遠征とサンパウロ州選抜に参加。
1988年、JSLオールスターに選出される。また第68回天皇杯で決勝まで進み、再び日産と対戦し3-1で敗れ準優勝となる。
1990年、フジタは日本リーグ2部に降格となる。 1990-91シーズンでは日本リーグ2部で30試合中28試合に出場するが1部復帰は果たせなかった。
翌シーズンは古島清人と小島伸幸の台頭で出場機会を得られず、横浜マリノスに移籍する。横浜には3シーズン在籍し、テヘランでの第3回アジアカップウィナーズカップ選手権の決勝第2戦に出場しピルズィ(イラン)に1-0での勝利に貢献するなどした。
1994年に現役を引退する。
所属クラブ
[編集]- 1978年 - 1980年 韮崎高校
- 1981年 - 1984年 明治大学
- 1985年 - 1992年 フジタ工業/フジタサッカークラブ
- 1992年 - 1994年 横浜マリノス
個人タイトル
[編集]- 1979年 全国高校サッカー選手権 優秀選手
- 1980年 山梨県スポーツ優秀選手賞
- 1980年 全国高校サッカー選手権 優秀選手(2回目)
- 1984年 関東大学サッカー2部ベストイレブン/4年間連続出場賞
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1985 | フジタ | 31 | JSL1部 | 21 | 0 | ||||||
1986-87 | 1 | 21 | 0 | ||||||||
1987-88 | 21 | 0 | |||||||||
1988-89 | 17 | 0 | 2 | 0 | |||||||
1989-90 | 4 | 0 | 4 | 0 | |||||||
1990-91 | JSL2部 | 28 | 0 | 0 | 0 | ||||||
1991-92 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||||||
1992 | 横浜M | - | J | - | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1993 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
1994 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 0 | 0 | 3 | 0 | |||||
日本 | JSL1部 | 84 | 0 | ||||||||
日本 | JSL2部 | 28 | 0 | 0 | 0 | ||||||
総通算 | 112 | 0 |
- JSLオールスターサッカー 1回出場(1988年)
各シーズンの所属クラブ/背番号/出場・得点記録の出典[2] 1991年の天皇杯予選の記録は不明。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』小学館、1992年、44頁。ISBN 4-09-102301-0。
- ^ *『JSLイヤーブック1989-1990』南雲堂、1989年。ISBN 4-523-31029-7。
- 『1990-1991JSLイヤーブック』南雲堂、1990年。ISBN 4-523-31032-7。
- 『1991-1992JSLイヤーブック』南雲堂、1991年。ISBN 4-523-31033-5。
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年。
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』小学館、1992年、44頁。ISBN 4-09-102301-0。
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』小学館、1993年、48頁。ISBN 4-09-102303-7。
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』小学館、1993年、96頁。ISBN 4-09-102305-3。
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』小学館、1994年、52頁。ISBN 4-09-102310-X。
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』小学館、1994年、94頁。ISBN 4-09-102314-2。
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』小学館、1994年、140-141, 173-176頁。ISBN 4-09-102309-6。
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』小学館、1995年、128-129, 114-115頁。ISBN 4-09-102317-7。
- 『横浜F・マリノス20年史』ベースボール・マガジン社、2012年、158頁。ISBN 978-4-583-61856-2。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 横川泉 - WorldFootball.net
- 横川泉 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 横川泉 - J.League Data Siteによる選手データ