横須賀市立横須賀高等学校
表示
横須賀市立横須賀高等学校 | |
---|---|
北緯35度14分47.52秒 東経139度40分8.71秒 / 北緯35.2465333度 東経139.6690861度座標: 北緯35度14分47.52秒 東経139度40分8.71秒 / 北緯35.2465333度 東経139.6690861度 | |
国公私立の別 | 公立学校(市立) |
設置者 | 横須賀市 |
学区 | 横須賀三浦学区 |
併合学校 |
横須賀市立第一高等学校 横須賀市立第二高等学校 |
設立年月日 | 1972年4月1日 |
閉校年月日 | 2003年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒238-0023 |
神奈川県横須賀市森崎五丁目1番1号 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
横須賀市立横須賀高等学校(よこすかしりつ よこすかこうとうがっこう)は、かつて神奈川県横須賀市森崎五丁目に存在した市立高等学校。
概要
[編集]1972年、横須賀市立の普通科高校2校を統合して開校。
「横高(よここう)」「県横(けんよこ)」などと称される神奈川県立横須賀高等学校に対し、「市横(しよこ)」という略称が一般的であった。[誰によって?]
2003年、横須賀市立商業高等学校、横須賀市立工業高等学校と統合され、横須賀市立横須賀総合高等学校が開校。本校は閉校となった。
閉校後、横須賀市は跡地の売却先を公募し、学校法人の誘致を目指していたが[1]、不調に終わった。
2011年、市内の不動産5社による戸建住宅用地(200区画)として売却が決定した。[2]
沿革
[編集]第一高校
[編集]- 1927年(昭和2年)4月 - 横須賀市立実科高等女学校開校[3]。
- 1936年(昭和11年)4月 - 横須賀市立田浦実科高等女学校と合併。[要出典]
- 1937年(昭和12年)4月 - 横須賀市立高等女学校となる[4]。
- 1942年(昭和17年)4月 - 横須賀市立第一高等女学校と改称[5]。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により横須賀市立第一高等学校となる。
- 一貫して女子校であった。通称は双葉ケ丘[6]。
- 所在地は横須賀市佐野町2-35。跡地は横須賀市立陽光小学校となった。陽光小は2006年に横須賀市立鶴久保小学校に統合されて閉校。2013年からは神奈川衛生学園専門学校のキャンパスになっている。
第二高校
[編集]- 1936年(昭和11年)4月 - 住民の要望によって、[要出典]横須賀市船越に横須賀市立実践女学校開校[7]。
- 1939年(昭和14年)4月 - 横須賀市立高等実践女学校となる[8]。
- 1942年(昭和17年)4月 - 横須賀市立第二高等女学校と改称[9][10]。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革により横須賀市立第二高等学校となる。
- 1959年(昭和34年) - 男女共学化。
- 所在地は横須賀市船越町7-16。現在は住宅地となり、ファミリーマートミナワ船越店などが立地している。
市立横須賀高校
[編集]著名な関係者
[編集]出身者
[編集]- 第二高校
- 市立横須賀高校
脚注
[編集]- ^ “旧市立横須賀高校跡地の売却先を公募/横須賀市”. カナロコ (神奈川新聞社). (2009年7月21日). オリジナルの2012年7月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ “旧市立横須賀高校跡地の売却が決定しました”. 横須賀市長 吉田雄人の公式ホームページ. 2011年9月26日閲覧。
- ^ 昭和2年4月25日付官報(第94号) 文部省告示第二百十九号
- ^ 昭和12年4月17日付官報(第3085号) 文部省告示第二百十号
- ^ 昭和17年4月16日付官報(第4578号) 文部省告示第三百八十九号
- ^ ふるさと横須賀 市立高等女学校 ①『”第一”消えた校名』
- ^ 昭和11年4月14日付官報(第2782号) 文部省告示第百九十六号
- ^ 昭和14年4月12日付官報(第3678号) 文部省告示第二百七十二号
- ^ 昭和17年4月24日付官報(第4585号) 文部省告示第四百三十五号
- ^ 昭和17年4月18日付官報(第4580号) 文部省告示第四百十号
関連項目
[編集]- 神奈川県立逗子高等学校(旧横須賀市立第三高等学校)
- 神奈川県高等学校の廃校一覧
- 高等女学校