橋元正輝
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橋元正輝 はしもと まさてる | |
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生年月日 | 1887年4月11日 |
没年月日 | 1939年4月17日(52歳没) |
死没地 | 日本 千葉県 |
出身校 | 慶應義塾大学部理財科卒業 |
前職 | 三菱合資会社信託社員 |
所属政党 | 公正会 |
親族 | 義兄・木間瀬策三(富山県知事) |
在任期間 | 1932年7月10日 - 1939年4月17日 |
橋元 正輝(はしもと まさてる、1887年(明治20年)4月11日[1] - 1939年(昭和14年)4月17日[1][2][3])は、大正から昭和期の政治家・華族。貴族院男爵議員。
経歴
[編集]海軍士官・橋元正明の二男[4]として生まれる[1][5]。父の死去に伴い、1929年(昭和4年)5月2日、男爵を襲爵した[6]。
1911年(明治44年)慶應義塾大学部理財科を卒業し[5]、さらに、1920年(大正9年)早稲田大学政治経済科を卒業した[2][4]。1911年、三菱合資会社に入社し、さらに同信託社員となる[2][5]。
1932年(昭和7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出された[7][8]。公正会に所属して活動し1期在任した[2][9]。
1939年4月17日、千葉で魚釣り中に心臓麻痺のため、議員在職中のまま死去した[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 下巻』355-356頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』81-82頁。
- ^ a b 『日本及日本人 (6月號)(373) 144コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『人事興信録 第11版 下』ハ30頁。
- ^ a b c d 『華族畫報 下』929頁。
- ^ 『官報』第700号、昭和4年5月3日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、41頁。
- ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
- ^ 『人事興信録 第12版上 663コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成 下巻』社団法人霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 橋元正明 |
男爵 橋元(正明)家第2代 1929年 - 1939年 |
次代 橋元正一 |