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橋本乾三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橋本 乾三(はしもと けんぞう、1901年明治34年)5月14日 - 1983年1月21日)は、日本の検事東京市渋谷区出身[1]

大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎の三男で、首相を務めた橋本龍太郎高知県知事を務めた橋本大二郎兄弟の伯父にあたる。

経歴

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1901年明治34年)5月14日、日本麦酒社員・橋本卯太郎とマツの三男として生まれた。旧制第一高等学校を経て、1926年大正15年)6月に東京帝国大学法学部を卒業[1]

1927年昭和2年)3月司法官試補、東京地方裁判所[1]1928年(昭和3年)12月検事 東京地方裁判所予備検事[1]秋田地方裁判所予備検事[1]

1929年(昭和4年)12月秋田区裁判所検事[1]1932年(昭和7年)5月福島地方裁判所検事[1]1933年(昭和8年)3月横浜区裁判所検事[1]

1935年(昭和10年)7月東京区裁判所検事[1]1937年(昭和12年)2月千葉区裁判所検事[1]1938年(昭和13年)7月東京区裁判所検事[1]

1946年(昭和21年)12月大審院検事。1952年(昭和27年)福島地方検察庁検事正。1955年(昭和30年)最高検察庁検事。

人物像

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趣味は写真、ダンス、ハイキング、水泳など。

戦後は神奈川県鎌倉市材木座に居住した。


家族・親族

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橋本家

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橋本家の人々、昭和16年(1941年)撮影
岡山県総社市東京都渋谷区神奈川県鎌倉市
  • 父・卯太郎(実業家)
    岡山県吉備郡秦村(現総社市)出身。橋本明によれば、「現橋本龍太郎首相の祖父卯太郎は農民だった。岡山県吉備郡秦村(現・総社市)が高梁川の氾濫で水没すると上京、新聞配達をしながら苦学して高等工業学校を卒業。馬越恭平日本ビール社長に見込まれ入社した。当時専務をしていた石光真澄が卯太郎の人柄を見抜いて「妹・真都を嫁に…」と望み、二人は馬越の媒酌で結婚する。酵母を扱う技師から常務に出世した卯太郎は8人の子宝に恵まれた。男6人には「宇宙乾坤龍虎」に数字をつけて命名した。」という[2]
  • 母・マツ熊本県、軍人石光真清、陸軍中将石光真臣の妹、陸軍主計総監男爵野田豁通の姪)
    石光家は旧藩時代熊本藩細川家に仕えた武家だった。石光家の身分は軽かったが、細川家が肥後入国の時からお供をした家柄であり、代々殿のお側に奉仕していたから特別の取り扱いを受けていた[3]
    • 宇一(学者・元東京高等工業学校長、科学技術庁金属材料研究所初代所長)
    • 宙二(実業家、軍人・海軍大佐)
    • 龍伍(官僚、政治家・元文部大臣、厚生大臣)
    • 虎六(学者・元東北大教授)
左から二男・乾三、妻・千代に抱かれる三男・、長男・
(昭和16年(1941年)撮影)

参考文献

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  • 『大日本司法大観』(編纂兼発行者 沖邑良彦 1940年 138頁)
  • 橋本明 『戦後50年・年譜の裏面史 昭和抱擁-天皇あっての平安-』(日本教育新聞社、1998年初版発行、2000年増補版発行、97-100頁) 

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『大日本司法大観』138頁
  2. ^ 橋本明著『戦後50年・年譜の裏面史 昭和抱擁 -天皇あっての平安-』 112頁
  3. ^ 石光真清著『城下の人』

関連項目

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