橋本敬包
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県 |
生年月日 | 1936年7月19日 |
没年月日 | 2007年4月23日(70歳没) |
身長 体重 |
176 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1955年 |
初出場 | 1955年7月30日 |
最終出場 | 1960年5月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
橋本 敬包(はしもと のりしげ、1936年7月19日 - 2007年4月23日[1])は、佐賀県出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。
来歴・人物
[編集]佐賀商業高校では、エースとして1953年秋季九州大会準々決勝に進むが、九州学院高の松井芳男(阪急)と投げ合い完封負けを喫する。翌1954年春季九州大会も準々決勝で三池高に惜敗。
1955年に広島カープへ入団。前年夏にカープの入団テストを2度に亘って受けており、それを経てのプロ入りであった。オーバースローの本格派投手で、ドロップを武器にした。2年目の1956年には43試合に登板し、公式戦初勝利も挙げ、3勝5敗という成績を残している。1958年には、自己最多となるシーズン5勝を記録。1960年より南海ホークスに移籍したが、ここでは登板する機会も少なく、翌年限りで引退した。
引退後は出版業に従事し、古巣・広島カープのファン情報誌である『月刊カープファン』の発行人を務めた時期もあった(1978年から1987年まで)。以後は、広島市中区中町にて飲食店を営んでいたが、2007年4月23日に病気のため死去した。70歳没。現在は、次男が店の経営を引き継いでいる。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1955 | 広島 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 97 | 21.2 | 25 | 1 | 9 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 12 | 12 | 4.91 | 1.57 |
1956 | 43 | 12 | 1 | 0 | 0 | 3 | 5 | -- | -- | .375 | 577 | 143.1 | 140 | 14 | 25 | 1 | 2 | 60 | 1 | 0 | 61 | 51 | 3.19 | 1.15 | |
1957 | 38 | 11 | 2 | 0 | 0 | 1 | 9 | -- | -- | .100 | 471 | 114.1 | 106 | 7 | 37 | 1 | 1 | 60 | 4 | 0 | 47 | 38 | 2.97 | 1.25 | |
1958 | 43 | 17 | 3 | 2 | 1 | 5 | 7 | -- | -- | .417 | 657 | 164.0 | 140 | 7 | 41 | 2 | 5 | 66 | 5 | 0 | 58 | 45 | 2.47 | 1.10 | |
1959 | 27 | 8 | 1 | 1 | 0 | 1 | 4 | -- | -- | .200 | 320 | 77.0 | 77 | 5 | 19 | 3 | 3 | 38 | 3 | 0 | 32 | 29 | 3.39 | 1.25 | |
1960 | 南海 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | -- | -- | .000 | 94 | 19.1 | 28 | 0 | 9 | 1 | 1 | 4 | 1 | 0 | 20 | 19 | 8.55 | 1.91 |
通算:6年 | 169 | 53 | 7 | 3 | 1 | 10 | 27 | -- | -- | .270 | 2216 | 539.2 | 516 | 34 | 140 | 8 | 12 | 234 | 15 | 0 | 230 | 194 | 3.23 | 1.22 |
記録
[編集]- 初登板:1955年7月30日、対読売ジャイアンツ13回戦(呉市二河野球場)、3回表2死から2番手で救援登板、1回2/3を2失点
- 初先発登板:1955年8月13日、対読売ジャイアンツ16回戦(沼津市営球場)、9回無失点で勝敗つかず
- 初勝利:1956年3月27日、対大阪タイガース4回戦(山口市民球場)、4回表に2番手で救援登板、4回2失点(自責点0)
- 初先発勝利:1956年5月6日、対大洋ホエールズ7回戦(川崎球場)、5回2/3を5失点
- 初完投:1956年10月4日、対読売ジャイアンツ26回戦(後楽園球場)、8回2失点で敗戦投手
- 初完投勝利:1957年8月24日、対国鉄スワローズ17回戦(広島市民球場)、9回4失点(自責点3)
- 初完封:1958年9月13日、対中日ドラゴンズ20回戦(広島市民球場)
背番号
[編集]- 50 (1955年)
- 20 (1956年 - 1959年)
- 18 (1960年 - 1961年)
脚注
[編集]- ^ “OB NEWS Vol.38” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2008年6月). 2015年7月5日閲覧。