橋本淳
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橋本 淳
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[編集]- 橋本淳 (作詞家)(はしもと じゅん)
- 橋本淳 (サッカー選手)(はしもと じゅん)
- 橋本淳 (俳優)(はしもと あつし)
- 橋本淳 (サックス奏者)(はしもと じゅん、1902年 - 1987年[1])
- 日本のジャズミュージシャン、サクソフォーン奏者[1]。
- 1902年(明治35年)に京都府京都市で出生[1]。満州国奉天市へ移住し、満鉄が経営する商業学校を卒業[1]。バイオリンを始め、高田実の劇団バンドに参加する[1]。1924年(大正13年)頃に日本へ帰国し、大阪市塚本で本格的にバイオリンを習う[1]。1926年(大正15年)に上海へ渡り、サクソフォーンを習得してダンスホールに出演[1]。1930年(昭和5年)にコロムビア・オーケストラに参加してその中心となる[1]。
- 第二次世界大戦終戦後は「ニュー・パシフィック」「スター・ダスターズ」などのジャズバンドで活動[1]。没年前年の1986年(昭和61年)秋まで、70歳以上の奏者による「ダンディー・ボーイズ」で日本最高齢の現役ジャズマンとして活躍した[1]。1987年(昭和62年)1月15日没[1]。
- 橋本淳 (宗教学者)(はしもと じゅん、1935年 - [2])
- 日本の宗教学者、キェルケゴール研究者[3]。元関西学院大学神学部教授[3]。日本宗教学会所属[3]。
- 1958年に関西学院大学神学部卒業(神学専攻)[3]、1960年に関西学院大学大学院神学研究科修士課程修了(宗教哲学専攻)[3]。1969年から1970年にかけてデンマーク政府の招聘により、コペンハーゲン大学神学部キェルケゴール研究所客員研究員として学び、その後もデンマークを訪問して研究を行う[2]。
- 1963年から1968年まで大阪外国語大学非常勤講師を務め[3]、1968年に四国学院大学文学部助教授に就任、1972年に同大学教授に就任[3]。1977年から関西学院大学神学部教授に就任[3]。また、1979年から1980年まで信州大学人文学部講師、1986年から1987年まで京都大学文学部哲学科講師、1998年から1999年まで大阪大学講師を歴任[3]。関西学院大学を定年退職後、2011年まで関西福祉科学大学社会福祉学部教授を務める[2]。
- 1980年に「セーレン・キェルケゴール・アカデミー」終身会員となる[3]。1990年に日本キリスト教学会理事、1999年に日本キェルケゴール研究センター代表理事に就任[3]。2000年にデンマークの「セーレン・キェルケゴール・リサーチセンター」日本委員に就任[3]。