橘真直
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 弘仁7年(816年) |
死没 | 仁寿2年6月20日(852年7月10日) |
官位 | 従四位下・相模権守 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘氏公、母:田口真仲(田口継麿の娘) |
兄弟 | 岑継、真直、岑雄、影子、時子、房子、忠子 |
子 | 葛直 |
橘 真直(たちばな の まなお)は、平安時代前期の貴族。右大臣・橘氏公の三男[1]。官位は従四位下・相模権守。
経歴
[編集]承和年間の初頭に内舎人に任ぜられ、のち左馬大允を経て、承和7年(840年)従五位下に叙爵。承和8年(841年)肥後介に任ぜられると、翌承和9年(842年)筑後権介と仁明朝中盤は地方官を務める。承和12年(845年)中務少輔に遷ると、のち右兵衛佐・右近衛少将・蔵人頭と一転して京官を歴任し、嘉祥2年(849年)従五位上、嘉祥3年(850年)正月には正五位下と仁明朝末に続けて昇叙された。
同年3月に仁明天皇の崩御に伴って蔵人頭を止められると、4月には右少将から阿波守に転じ、翌嘉祥4年(851年)正月に相模権守と、文徳朝では再び地方官を務める。同年11月従四位下に叙せられるが、翌仁寿2年(852年)6月20日卒去。享年37。最終官位は相模権守従四位下。
人物
[編集]官歴
[編集]『六国史』による。
- 承和年間初:内舎人。左馬大允
- 時期不詳:正六位上
- 承和7年(840年) 正月7日:従五位下
- 承和8年(841年) 日付不詳:肥後介
- 承和9年(842年) 7月26日:筑後権介
- 承和12年(845年) 2月27日:中務少輔
- 承和13年(846年) 正月13日:右兵衛佐。5月23日:右近衛少将
- 承和15年(848年) 2月14日:兼安芸介
- 嘉祥2年(849年) 正月7日:従五位上。8月20日:兼安芸守。12月?:蔵人頭[3]
- 嘉祥3年(850年) 正月7日:正五位下。3月21日:去蔵人頭(仁明天皇崩御)。4月2日:阿波守
- 嘉祥4年(851年) 正月11日:相模権守。11月26日:従四位下
- 仁寿2年(852年) 6月20日:卒去(相模権守従四位下)