橘良殖
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 貞観6年(864年) |
死没 | 延喜20年2月28日(920年3月21日) |
官位 | 従四位上・参議 |
主君 | 宇多天皇→醍醐天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘安吉雄、母:飛鳥虎継娘 |
兄弟 | 良根、良基、良殖 |
妻 | 藤原保蔭娘 |
子 | 淳行、純行、敏行、藤原元方室 |
橘 良殖(たちばな の よしたね)は、平安時代前期の公卿。摂津守・橘安吉雄の子。官位は従四位上・参議。
経歴
[編集]宇多朝初頭の仁和3年(887年)従五位下に叙爵。寛平2年(890年)伊賀守に任ぜられると、遠江守・美濃介・播磨介・越前守・近江介/権守・備前守と、宇多朝から醍醐朝にかけてほぼ30年の長きに亘り七ヶ国の地方官を歴任する。またこの間、寛平7年(895年)従五位上、延喜14年(914年)従四位下、延喜17年(917年)従四位上と昇進している。
延喜19年(919年)参議兼宮内卿に任ぜられ公卿に列すが、翌延喜20年(920年)2月28日卒去。享年57。最終官位は参議従四位上守宮内卿兼美濃権守。
官歴
[編集]『公卿補任』による。
- 仁和3年(887年) 11月17日:従五位下(氏爵)
- 寛平2年(890年) 正月28日:伊賀守
- 寛平7年(895年) 正月11日:遠江守。2月14日:従五位上
- 昌泰2年(899年) 3月7日:美濃介[1]。4月2日:播磨介
- 延喜4年(904年) 正月21日:播磨介
- 延喜6年(906年) 正月11日:越前守
- 延喜11年(911年) 正月13日:近江介[2]
- 延喜14年(914年) 正月7日:従四位下。10月2日[3]:近江(権)守
- 延喜15年(915年) 正月12日:備前守
- 延喜17年(917年) 11月17日:従四位上
- 延喜19年(919年) 正月28日:参議。6月3日:兼宮内卿
- 延喜20年(920年) 正月20日[4]:兼美濃守。2月28日:卒去(参議従四位上守宮内卿兼美濃権守)