藤原尹文
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従四位上、播磨守 |
主君 | 醍醐天皇 |
氏族 | 藤原南家貞嗣流 |
父母 | 父:藤原道明、母:丹治比蔭光の娘 |
兄弟 | 尹衡、尹文、尹甫、慶円?、尹忠、尹風、尹瞻、尹生、藤原元方室、源英明室、藤原安親室、源国基室、藤原文貞室、藤原安于室 |
妻 |
橘恵子(橘良殖の娘) 藤原定方の娘 |
子 | 永保、永年、永頼、永平、永令、慶円?、藤原斉敏室 |
藤原 尹文(ふじわら の まさふみ/ただふみ/まさむね)は、平安時代前期から中期にかけての貴族。藤原南家貞嗣流、大納言・藤原道明の子。官位は従四位上・播磨守。
経歴
[編集]兵庫助・六位蔵人を経て、延喜18年(918年)縫殿助に任ぜられる。延喜21年(921年)には左衛門少尉を務め、延喜22年(922年)従五位下・摂津守に叙任される。その後、伊賀守・播磨守と地方官を歴任し、位階は従四位上に至った。
娘は参議・藤原斉敏の室となり、実資ら三人の生母となっている。また、院政期に権力を振るった藤原通憲(信西)は尹文の昆孫(6代後)である。
官歴
[編集]- 時期不詳:兵庫助。六位蔵人[1]。
- 延喜18年(918年) 2月29日:縫殿助[1]。
- 延喜21年(921年) 正月30日:左衛門少尉[1]。
- 延喜22年(922年) 正月7日:従五位下、元蔵人主殿助[2]。正月29日:摂津守[2]
- 時期不詳:従四位上。伊賀守。播磨守[3]
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宮崎康充編『国司補任 第三,第四』続群書類従完成会、1990年