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檜町公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
檜町公園内の池。後ろの建物は東京ミッドタウンミッドタウン・タワー。(2012年12月撮影)
檜町公園内の池
檜町公園

檜町公園(ひのきちょうこうえん)は、東京都港区赤坂にある公園である。港区が設置する都市公園(近隣公園)であり[1]東京ミッドタウンに隣接する。面積は約14,100m2である[1]

歴史

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当地は江戸時代長州藩松平大膳大夫毛利家)の下屋敷があったところで庭園は「清水園」と呼ばれ、江戸の大名屋敷の中でも名園のひとつとして知られていた。また周りにの木が多かったことから毛利家の屋敷は「檜屋敷」とも呼ばれ、後の「檜町」という地名の由来にもなった(公園の名もこれに由来する)。

明治時代になり毛利家の屋敷一帯は国の管轄に移り、第1師団歩兵第1連隊の駐屯地となった。第二次大戦後の一時期に米軍の接収を受け、その後敷地の大部分に防衛庁が設置される。残りの部分が檜町公園として整備され1963年に都立公園として開園。1968年に港区に管轄が移された。かつてはデモの集会などにも使われた。当公園は池を中心に遊具などが整った公園であったが、2000年に隣接する防衛庁(現:防衛省)が市谷に転出。その跡地に2007年東京ミッドタウンが開発されたのを受け、当公園も再整備され景観が大きく変わった。隣のミッドタウン・ガーデン(東京ミッドタウンに付属している芝生広場)との調和が取れた開放的な造りとなった。

年表

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  • 江戸時代 - 毛利家の下屋敷があった。
  • 1874年(明治7年) - 一帯が歩兵第一連隊の駐屯地になる。
  • 1945年(昭和20年) - 終戦を迎え、米軍に接収される。
  • 1957年(昭和32年)12月21日 - 都市計画決定(建設省告示第1689号)[1]
  • 1960年(昭和35年) - 霞ヶ関にあった防衛庁が当地に移転。
  • 1963年(昭和38年)7月 - 檜町公園が東京都立公園として開園。
  • 1968年(昭和43年)4月 - 管轄が港区に移される。
  • 1986年(昭和61年)4月29日 - 右翼活動家中村忠志が持参した時限爆弾を誤爆させ重傷を負う(檜町公園事件)。
  • 2000年(平成12年) - 防衛庁が市谷に移転。
  • 2007年(平成19年) - 防衛庁跡地に東京ミッドタウンが完成。それにあわせて、檜町公園も再整備される。

施設概要

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檜町公園
  • 所在地:東京都港区赤坂九丁目7番9号
  • 面積: 約14,100m2[1]
  • 入園料: 無料
  • 開園時間: 常時開園(24時間開園しているが、夜間は入口に鎖を掛けて自粛を呼びかけている[2]。)

アクセス

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主な施設

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 港区. “都市計画公園一覧”. 港区都市計画情報提供サービス. 2021年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。
  2. ^ 観光名所近く、響いた大声…「赤ん坊起きるのでは」”. ZAKZAK. 産経デジタル (2009年4月23日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯35度40分0.4秒 東経139度43分57.3秒 / 北緯35.666778度 東経139.732583度 / 35.666778; 139.732583