櫛玉媛神社古墳
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櫛玉媛神社古墳 | |
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別名 | 櫛玉比女命神社古墳 |
所在地 |
奈良県北葛城郡広陵町弁財天 (櫛玉比女命神社境内) |
位置 | 北緯34度33分45.90秒 東経135度45分12.72秒 / 北緯34.5627500度 東経135.7535333度座標: 北緯34度33分45.90秒 東経135度45分12.72秒 / 北緯34.5627500度 東経135.7535333度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長30m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 埴輪 |
築造時期 | 6世紀前半 |
史跡 | なし |
地図 |
櫛玉媛神社古墳(くしたまひめじんじゃこふん、櫛玉比女命神社古墳)は、奈良県北葛城郡広陵町弁財天にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。
概要
[編集]奈良盆地西部、馬見丘陵から1キロメートル東の低地部に築造された古墳である。現在は墳丘上に櫛玉比女命神社(延喜式内社)が鎮座し、後円部に神社拝殿、前方部(禁足地)に本殿が所在する。これまでに発掘調査は実施されていないが、2021年(令和3年)に倒木に伴い埴輪が出土している。
墳形は前方後円形で、前方部を西方向に向ける。墳丘長は約30メートルを測る[1]。墳丘表面では円筒埴輪・形象埴輪(人物・動物埴輪、不明埴輪)が認められる[1]。また墳丘周囲には周濠・外堤が巡らされる[1]。埋葬施設は明らかでない。築造時期は古墳時代後期前半の6世紀前半頃と推定される[1]。
遺跡歴
[編集]- 弘安7年(1284年)、墳丘上に社殿造営と伝承(応長2年(1312年)の「箸尾満嶋弁才天瑞夢記附記」の縁起現記(文安元年(1444年)写))[2]。
- 2021年(令和3年)2月、前方部において倒木に伴う埴輪の出土(2022年に報告)[1]。
関連施設
[編集]- 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(橿原市畝傍町) - 櫛玉媛神社古墳の出土埴輪等を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「櫛玉比女命神社」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
- 刊行後版(ジャパンナレッジ収録)、2006年。
- 東影悠「櫛玉媛神社古墳の埴輪 (PDF)」『青陵』第165号、奈良県立橿原考古学研究所、2022年。 - リンクは奈良県立橿原考古学研究所。