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歌川芳形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歌川芳形
ヒト
性別男性 編集
国籍日本 編集
読み仮名うたがわ よしかた 編集
生年月日1841 編集
死亡年月日1 9 1864 編集
埋葬地谷中 編集
職業画家浮世絵師 編集
活動地江戸 編集
作者の著作権状態著作権保護期間満了 編集

歌川 芳形(うたがわ よしかた、天保12年〈1841年〉 - 元治元年8月1日1864年9月1日〉)とは、江戸時代末期の浮世絵師

来歴

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歌川国芳の門人。本姓は大伴、名は庫之助。一震斎と号す。牧野侯の典医大伴良順の三男として生まれる。下谷茅町、後に日本橋榑正町、本銀町及び亀島町に住む。12、3歳のころ国芳の門に入り、安政から文久のころにかけて武者絵などを描く。合作「御上洛東海道」(文久3年)にも参加、「東海道 桑名」のような奇抜な構図の作品を残しているが、24歳で死去した。墓所は東京都台東区谷中の延寿寺、法名は秋山院芳形日震信士。

作品

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  • 「太平記乕御前山」 大判錦絵3枚続 ※文久2年
  • 太平記大戦場」 大判錦絵3枚続 ボストン美術館所蔵 ※文久2年、後に「九州大合戦之図」と改題
  • 「英雄八景」 大判錦絵
  • 「川中島対陣之図」 大判錦絵3枚続※文久2年 
  • 「上杉家臣集会論戦功」 大判錦絵3枚続 ※文久3年
  • 「宇治川大戦場之図」 大判錦絵3枚続 ※文久3年
  • 「東海道」 大判錦絵揃物 ※合作、文久3年。芳形は「桑名」と「藤沢」を描く。
  • 「大象写生」 大判錦絵3枚続 ※文久3年
  • 「舶来大象図」 大判錦絵
  • 頼朝平家追討評定ノ図」 大判錦絵3枚続 ボストン美術館所蔵 ※文久3年
  • 「戦争図」 大判錦絵
  • 「放寄計大岩山猛将生捕図」 大判錦絵3枚続 ※慶応2年、芳形没後の版行

参考文献

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関連項目

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