歌川芳形
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歌川 芳形(うたがわ よしかた、天保12年〈1841年〉 - 元治元年8月1日〈1864年9月1日〉)とは、江戸時代末期の浮世絵師。
来歴
[編集]歌川国芳の門人。本姓は大伴、名は庫之助。一震斎と号す。牧野侯の典医大伴良順の三男として生まれる。下谷茅町、後に日本橋榑正町、本銀町及び亀島町に住む。12、3歳のころ国芳の門に入り、安政から文久のころにかけて武者絵などを描く。合作「御上洛東海道」(文久3年)にも参加、「東海道 桑名」のような奇抜な構図の作品を残しているが、24歳で死去した。墓所は東京都台東区谷中の延寿寺、法名は秋山院芳形日震信士。
作品
[編集]- 「太平記乕御前山」 大判錦絵3枚続 ※文久2年
- 「太平記大戦場」 大判錦絵3枚続 ボストン美術館所蔵 ※文久2年、後に「九州大合戦之図」と改題
- 「英雄八景」 大判錦絵
- 「川中島対陣之図」 大判錦絵3枚続※文久2年
- 「上杉家臣集会論戦功」 大判錦絵3枚続 ※文久3年
- 「宇治川大戦場之図」 大判錦絵3枚続 ※文久3年
- 「東海道」 大判錦絵揃物 ※合作、文久3年。芳形は「桑名」と「藤沢」を描く。
- 「大象写生」 大判錦絵3枚続 ※文久3年
- 「舶来大象図」 大判錦絵
- 「頼朝平家追討評定ノ図」 大判錦絵3枚続 ボストン美術館所蔵 ※文久3年
- 「戦争図」 大判錦絵
- 「放寄計大岩山猛将生捕図」 大判錦絵3枚続 ※慶応2年、芳形没後の版行