正法寺 (岐阜市薬師町)
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正法寺 | |
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所在地 | 岐阜県岐阜市薬師町24 |
位置 | 北緯35度23分42.4秒 東経136度45分41.8秒 / 北緯35.395111度 東経136.761611度座標: 北緯35度23分42.4秒 東経136度45分41.8秒 / 北緯35.395111度 東経136.761611度 |
山号 | 霊薬山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 文和2年(1353年)以降 |
開山 | 嫩桂正栄(大医禅師) |
開基 | 土岐頼康 |
文化財 | 跡地:岐阜市指定史跡 |
正法寺(しょうぼうじ)は、岐阜県岐阜市薬師町にあった、薬師如来を本尊とする臨済宗の寺院である。山号は霊薬山と称した。川手城の敷地ないし隣接地にあったとされ、船田合戦を経て廃寺となった。現在、その跡は正法寺跡として岐阜市により史跡に指定されている。なお、同市黒田(正法寺)、同市大仏町(正法寺)、同市向加野にある正法寺は、ここで述べる霊薬山正法寺とは縁起の異なる別の寺院である。
美濃国守護、土岐頼康が文和2年(1353年)に川手城を築城した際に無本覚心(法灯禅師、法灯派の祖)の法嗣、嫩桂正栄を招いてその隣接地に建立した。その後は開山の法嗣、信中自敬が2世として襲いでいる。土岐氏の外護のもと、七堂伽藍を備え塔頭も多数建てられた。塔頭の名としては雲門庵、石門庵、法喜庵、三世庵、常春庵、慈光院、利名院、大亀院、陽徳院、南陽院および細香軒が伝わっているが、それぞれの歴史については未詳である。信中自敬の下には惟成親王が法嗣として入るなど、美濃屈指の禅刹であり、諸山に列せられた。応仁元年(1467年)以降、京都が応仁の乱により荒廃した際には、土岐氏の招きにより足利義視、一条兼良が訪れた。その他にも雪舟等楊や万里集九、宗祇など、文人墨客も正法寺で活動をしていたことが知られる。明応4年(1495年)に船田合戦で戦場となり、焼失し廃寺となった。跡地に残った土塁も、慶長7年(1602年)の加納城築城の際に取り去られたという。
昭和47年(1972年)に岐阜市により史跡に指定される。2019年現在、跡地には薬師堂が建てられている。
参考文献
[編集]- 厚見村史編集委員会『厚見村史』(1960年) p100-106
- 松田之利ほか『岐阜県の歴史』第二版(2012年) pp.84,85