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武内徹太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武内 徹太郎(たけうち てつたろう、1901年明治34年)11月29日[1] - 1986年昭和61年)3月3日[1])は、日本実業家。元富士紡績社長、同社会長、元日本紡績協会委員長、元高千穂学園理事。

経歴

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神奈川県出身、高千穂幼稚園、高千穂小学校、旧制高千穂中学校(第6回)旧制第一高等学校卒業。1926年(昭和元年)富士紡績入社し中津工場長、関東支店副長秘書課長、鷲津工場長経理部次長を歴任し、1950年(昭和25年)7月 富士紡績取締役に選ばれる。その後、経理部長大阪営業所長委嘱常務、専務を経て、1960年(昭和35年)富士紡績社長に就任。1959年(昭和33年)貿易使節団員として約2か月北米カナダ西独伊タイに出張、1965年(昭和39年)1月 日蘭伯国リオグランデドスール州企業調査団長として約40日間南米北米に出張、同年9月 国際錦連年次総会に日本代表団員の一員としてスイスに出張、エチオピア東阿3国を視察する。その後、1970年(昭和45年)富士紡績会長に就任する。

その他、富士機工取締役、1975年(昭和50年)高千穂学園理事、1982年(昭和57年)同学園同窓会会長を務めた。没後、富士紡績による社葬が執り行われた[2]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、741頁。
  2. ^ 施行実績|お葬式の神田博善”. www.hakuzen.co.jp. 2020年12月9日閲覧。

参考文献

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  • 高千穂学園八十年編集委員会編『高千穂学園八十年史』(学校法人高千穂学園、1983年)

関連項目

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