武石橘次
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武石 橘次(たけいし きつじ、1853年3月18日(嘉永6年2月9日[1][2])- 1918年(大正7年)3月30日[3])は、明治・大正期の地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]豊後国玖珠郡小田村[4](大分県玖珠郡万年村を経て現玖珠町)で素封家・武石儀策[注 1]の長男として生まれる[1][2]。広瀬林外、孔珠渓に師事した[4]。1873年(明治6年)6月、家督を相続した[1][2]。
家業の農業、山林業を営む[4][5]。1895年(明治28年)万田銀行頭取に就任[4]。その他、大分県農工銀行取締役、大分銀行取締役、大分共立貯蓄銀行取締役、豊州瓦斯(現大分ガス)取締役などを務めた[1][2][3][4][5]。
政界では、1888年(明治21年)大分県会議員に当選[2][3][4][5]。その他、万年村会議員、玖珠郡会議員を務めた[4][5]。1911年(明治44年)の貴族院多額納税者議員選挙で互選され[4][5]、同年9月29日に就任し[6]、在任中の1918年3月、病のため死去した[3][5][7]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『大分県歴史人物事典』317頁では儀作。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 『大分県実業家伝』臼杵新聞支社、1918年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。