武蔵秀貞
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 孫之丞 |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 氏井氏、武蔵氏 |
父母 | 氏井武蔵 |
兄弟 | 吉正、秀貞 |
子 | 秀治 |
武蔵 秀貞(むさし ひでさだ)は、戦国時代の武将。徳川家康の家臣。
生涯
[編集]22歳の時、織田家を辞していた吉正とともに徳川家康に仕え、その際に兄弟ともに姓を武蔵と改めた。元亀3年(1572年)三方ヶ原の戦いでは弓を手に力戦し、以後の武田氏との戦いでも武功があった。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでは長久手で森長可の部隊と交戦し、渡辺守綱とともに敵将を討った。天正19年(1591年)武蔵国入間郡山口領(埼玉県所沢市)に250石を与えられ。家康が伏見城に入る際には、先行して城士となっている。