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殖栗皇子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
聖徳太子二王子像』で、聖徳太子に従う殖栗皇子(向かって左)と山背大兄王

殖栗 皇子(えくり/ えぐり の みこ、生没年不詳[1])は、飛鳥時代皇族用明天皇の第五皇子。母は穴穂部間人皇女。子に衣縫王があり[2]、その子孫は蜷淵真人とされる[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 日本書紀』天武11年6月条に、五位殖栗王卒の記事があるが、用明天皇皇子の殖栗皇子のことを指すのかどうか明らかではない。また、『聖徳太子伝補闕記』には山背大兄王と共に滅亡した上宮王家の人物として殖栗王の名前が挙げられているが、同様に本項目の殖栗皇子のことを指すのかどうか明らかではない。
  2. ^ 鈴木真年『百家系図』(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)
  3. ^ 新撰姓氏録』左京皇別