殿前康雄
殿前 康雄(とのまえ やすお、1942年[1] - )は、日本の教育者。翔凜中学校・高等学校理事長代行[2]。東京都立高校や各地の私立高校多数において、教頭、校長などの要職を歴任した。
経歴
[編集]東京都出身[1]。1960年、東京都立大泉高等学校卒業[2]。1966年、東京理科大学理学部物理学科卒業[1]。
1966年、物理科教諭として都立高校教員となり[1]、東京都立代々木高等学校、東京都立大山高等学校、東京都立久留米西高等学校、東京都立小金井北高等学校、1990年に東京都立久留米高等学校教頭、1994年に東京都立清瀬高等学校教頭[2]、1995年に東京都教育庁人事部管理主事を経て[3]、1996年に東京都立羽村高等学校校長[3]、1999年から2003年まで東京都立八王子東高等学校校長を務めた[1]。殿前校長の下、八王子東高は、東京都立日比谷高等学校、東京都立西高等学校、東京都立戸山高等学校とともに「進学指導重点校」に指定され[1][4]、予備校での研修に教員を積極的に送り出す取り組みや[5]、2002年の学校週5日制導入を受けての土曜授業の導入など[6]、数々の改革に取り組み、広く注目を集めた[1]。殿前の校長在任中、八王子東高は、一時は都立高校最多の15名の東京大学合格者を出すなど、顕著な実績も挙げ、殿前は「都立高復権」で注目される人物の一人となった[4][7]。殿前は、2003年に定年退職を迎えて同校長を退任し[8]、後に在任中の経験を綴った『都立高校は死なず―八王子東高校躍進の秘密』(祥伝社新書、2005年)を出版した[1]。
2003年4月、殿前は東京都三鷹市の私立大成高等学校校長に就任した[9]。同校校長職には2008年2月1日までとどまったが[10]、その在任中は教員の解雇をきっかけに労働争議となり、殿前はその渦中にいた(詳細は大成高等学校 (東京都)#労働争議を参照)。
その後、創造学園大学、創造学園高等学校勤務を経て、2010年に翔凜中学校・高等学校理事長代行となった[2]。
著書
[編集]- 都立高校は死なず―八王子東高校躍進の秘密、祥伝社新書、2005年
出典・脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h “都立高校は死なず―八王子東高校躍進の秘密”. 紀伊国屋書店BookWeb. 2012年9月15日閲覧。
- ^ a b c d 殿前康雄. “殿前康雄”. facebook. 2012年9月15日閲覧。
- ^ a b “9千49人が異動 都公立校教員”. 朝日新聞(朝刊・東京). (1996年3月29日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b “都立高復権 選べる自由、追い風に “特色校”倍率アップ”. 読売新聞(朝刊・東京): p. 3. (2003年1月8日) - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ “都立高教員の予備校研修 好評の裏にジレンマも(検証)”. 朝日新聞(朝刊): p. 37. (2001年12月6日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “土曜授業、現場が先行 都立高、来年度は17校”. 朝日新聞(朝刊・東京): p. 39. (2004年12月18日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 近年の八王子東高から東京大学への合格者数は一桁にとどまっており、15名は突出した数字であった。“過去3年間の大学合格状況”. 東京都立八王子東高等学校. 2012年9月15日閲覧。
- ^ “都教職員異動(1日付)”. 朝日新聞(朝刊・東京): p. 30. (2003年4月1日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 鶴見知子 (2005年2月16日). “教員10人「出入り禁止」 背景に労使対立 三鷹の私立大成高校”. 朝日新聞(夕刊): p. 19 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “同窓会のあゆみ”. 大成学園同窓会. 2019年3月31日閲覧。