比奈
比奈 | |
---|---|
北緯35度9分41.6秒 東経138度42分49.84秒 / 北緯35.161556度 東経138.7138444度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 富士市 |
人口 | |
• 合計 | 4,500人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
417-0847[2] |
市外局番 | 0545 (富士MA)[3] |
ナンバープレート | 富士山 |
比奈(ひな)は、静岡県富士市の大字。丁番を持たない単独町名である。住居表示は実施されていない[4]。郵便番号は417-0847[2]。東部ブロック・吉永地区に属する[5]。
地理
[編集]富士市東部に位置し、南北に長い町域を有する。北部は山野部であり、南部の平地には製紙工場が蝟集している。
歴史
[編集]古くは富士郡比奈村であった。この地名については、古代の姫名郷の遺称地名であるとみられている。地名を示す古い資料として、慶長14年(1609年)の『富士之郡下方比奈村寺領御縄打水帳』(玉泉寺文書)が残されている[6]。
- 1889年(明治22年)3月1日 - 桑崎村、石井村、間門村、鵜無ヶ淵村、富士岡村と合併し吉永村比奈となる。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 新設合併により生れた新・吉原市の一部となる。
- 1966年(昭和41年)11月1日 - 新設合併により生れた富士市の一部となる[7]。
世帯数と人口
[編集]2020年(令和2年)7月1日現在の、世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
比奈 | 1,864世帯 | 4,500人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
町丁 | 町内会 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
比奈 | 中比奈町1・2・3、西比奈町1・2・3 | 富士市立吉永第一小学校 | 富士市立吉原第三中学校 |
上記を除く町内会 | 富士市立吉原東中学校 |
旧跡・伝説
[編集]かぐや姫・竹採塚
[編集]富士地区(富士宮市・富士市)にはかぐや姫説話が伝わっており[9]、比奈はその由緒地とされている[10]。
現在も「籠畑」「赫夜姫」という小字や「見返坂」という坂が地域内に存在するほか、吉原第三中学校東側の竹藪の中に「竹採塚」と呼ばれる塚が存在する[11]。
「竹採塚」は大正年間に編纂された『吉永村誌』に「苔結ンデ其ノ頗ル古代碑タルヲ知ル」と記されており、ここが竹取翁や姫のいたところと伝えられている[12]。塚の周辺は近年「竹採公園」として整備され、毎年中秋の名月の頃に「姫名の里まつり」が開催されている[13]。
比奈の竹藪がかぐや姫の生れたところと伝えられてきた理由として、郷土史家の鈴木富男は、「倭明抄」にこの付近を「姫名郷」としていること、「古今為家抄」「古今和歌集序聞書」に「欽明天皇御宇駿河国の浅間の郡に竹取翁といふ老人あり」と記していることなどが大きな原因ではないかとしている[11]。
お菊田の伝承
[編集]比奈には田植え女性「お菊」にまつわる「お菊田」の伝承があり、主に民俗学の分野で取り上げられてきた[14]。初見は山中共古『吉居雑話』であり[15]、内容は以下の通りである[注釈 1]。
富士郡須津村比奈には「お菊田」と呼ばれる1町6反の田がある。その昔、その田の地主に強欲な者がおり、お菊という田植え女性にその広大な面積の田植えを1日で終えるよう命じた。するとお菊は過労のあまり死んでしまった。以後、その田を耕すと不幸があり、現在でも恐れられているという。
このような田植えの日に女性が死するという伝承が各地に存在し[16]、民俗学者である柳田國男や中山太郎が比奈のお菊田の伝承を取り上げている[17][18][19][注釈 2]。
現在はこの伝承から派生ないし改変された話が、当地では紹介されている[注釈 3]。富士市立昭和幼稚園の片隅に「お菊塚」があり、毎年6月上旬に「お菊まつり」が行われている。
交通
[編集]道路
[編集]路線バス
[編集]鉄道
[編集]施設
[編集]- 竹採公園
- 昭和幼稚園
- リズム保育園
- 富士市東部児童館
- 富士市立吉永第一小学校
- 富士市立吉原東中学校
- 富士市立吉原第三中学校
- 富士市立高等学校
- 静岡県立吉原工業高等学校
- 昭和自動車学校 - 住所は「富士市比奈字赫夜姫2220-1」。
- 丸富製紙本社
- 日本製紙富士工場吉永製造部
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 民俗学者山中共古は富士郡吉原町に居住歴があり、当地の伝承等を記している。
- ^ 柳田國男は論考「農に関する土俗」(1918年)にて、中山太郎は論考「人身御供の資料としての「おなり女」伝説」(1925年)にて取り上げている。両著とも『生贄と人柱の民俗学』に集録
- ^ 比奈には「一町六反」という小字があり、1950年代辺りまでは一軒の家もない田んぼだった。昔、「お菊さん」という他村出身の人がおり、若い頃は遊びほうけて暮していたが、或る時に枕元へ死んだ父親が現れたのを機に改心し、家を出て比奈村まで来ると、よく働いて地所を多く持つようになった。或る年の田植え時、お菊さんは朝早くから一町六反歩の田んぼの田植えに励んでいたが日が暮れそうになり、「ああ! おてんとうさまが、もう少し待ってくれたら、終るのになあ!」と言うと、再び日が高く昇った。「ありがたや、ありがたや」とお菊さんは田植えを終えたが、畔に腰を降ろした途端、そのまま倒れて亡くなった。それからこの付近の田んぼを、「一町六反」と呼ぶようになったという[20]
出典
[編集]- ^ a b 大字別人口表|富士市
- ^ a b 郵便番号一覧|日本郵便 2020年9月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2020年9月13日閲覧。
- ^ 住居表示整備事業|静岡県富士市 2020年7月24日閲覧。
- ^ 地区まちづくりセンターの施設情報|富士市 2020年9月13日閲覧。
- ^ 『日本歴史地名大系第二二巻 静岡県の地名』(2000年、平凡社)
- ^ 静岡県市町村の変遷|静岡県 2020年9月13日閲覧。
- ^ 通学区域|富士市 2020年9月13日閲覧。
- ^ かぐや姫ゆかりの地|富士山かぐや姫ミュージアム 2020年9月13日閲覧。
- ^ 植松章八「富士山信仰にみる比奈赫夜姫-その成立と終焉-」『富士学研究』12、2014
- ^ a b 鈴木富男『富士市の伝説と昔話』(1978年、文華堂書店)
- ^ 富士郡須津・元吉原・吉永・原田村誌 〔富士郡町村誌〕 〔2〕|静岡県立中央図書館デジタルライブラリー - 「102~103頁」を参照。2020年9月13日閲覧。
- ^ 令和2年度姫名の里まつり(中止) 2020年9月12日閲覧。
- ^ 民俗学資料叢書5 1998, p. 22-24.
- ^ 諸國叢書 1984, p. 105-106.
- ^ 関沢まゆみ「田植えと女性 民俗学からの一考察」『国立歴史民俗博物館研究報告』25、国立歴史民俗博物館、2022、508頁
- ^ 民俗学資料叢書5 1998, p. 152.
- ^ 民俗学資料叢書5 1998, p. 204.
- ^ 柳田國男「妹の力」『定本 柳田國男集(新装版)』、筑摩書房、1969、84頁
- ^ ふるさとの昔話富士市HP、2021年3月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 礫川全次『生贄と人柱の民俗学』批評社〈歴史民俗学資料叢書5〉、1998年。
- 成城大学民俗学研究所『諸國叢書』筑摩書房、1984年。