毛利正周
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毛利 正周(もうり まさちか、? - 享保6年3月28日(1721年4月24日))は、江戸時代中期の薩摩藩士。池坊流華道家。通称は、吉井氏時代は利兵衛。毛利氏相続後は権兵衛、作右衛門。諱は、吉井氏時代は泰行、毛利氏相続後に正周。後に隠居して為春と号す。
人物
[編集]薩摩藩士の毛利与三右衛門から4代目の子孫毛利五右衛門の養子。実は吉井新右衛門護賢の弟。華道家の池坊専養の門人となり、立花生花の法を伝授し伝書2巻。のち九州花頭となる。『大石兵六夢物語』の作者である毛利正直の曾祖父。
菩提寺は松原山南林寺。法号は華荘院殿即心為春居士。
四男一女をもうけ、次男と四男は分家する。次男で毛利正直の祖父でもある毛利正治は医者になり、四男毛利正恒も父より華道を相伝する。
年譜
[編集]- 元禄2年(1689年)3月26日;琉球王国に村尾源左衛門重栄が派遣されるが、重栄に従って琉球へ渡海。
- 元禄8年(1695年);上京し、池坊28世の専養の門人になる。
- 元禄14年(1701年)3月;九州花頭の免状をもらう。
- 正徳元年(1711年)12月28日;隠居。為春と号す。
系譜
[編集]子は四男一女