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毛利正周

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

毛利 正周(もうり まさちか、? - 享保6年3月28日1721年4月24日))は、江戸時代中期の薩摩藩士。池坊華道家通称は、吉井氏時代は利兵衛。毛利氏相続後は権兵衛、作右衛門。は、吉井氏時代は泰行、毛利氏相続後に正周。後に隠居して為春とす。

人物

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薩摩藩士の毛利与三右衛門から4代目の子孫毛利五右衛門の養子。実は吉井新右衛門護賢の弟。華道家の池坊専養の門人となり、立花生花の法を伝授し伝書2巻。のち九州花頭となる。『大石兵六夢物語』の作者である毛利正直の曾祖父。

菩提寺は松原山南林寺。法号は華荘院殿即心為春居士。

四男一女をもうけ、次男と四男は分家する。次男で毛利正直の祖父でもある毛利正治は医者になり、四男毛利正恒も父より華道を相伝する。

年譜

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  • 元禄2年(1689年)3月26日;琉球王国に村尾源左衛門重栄が派遣されるが、重栄に従って琉球へ渡海。
  • 元禄8年(1695年);上京し、池坊28世の専養の門人になる。
  • 元禄14年(1701年)3月;九州花頭の免状をもらう。
  • 正徳元年(1711年)12月28日;隠居。為春と号す。

系譜

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子は四男一女

参考文献

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  • 薩藩叢書刊行会「新薩藩叢書4」1971年9月15日、歴史図書社
  • 上野尭史「鹿児島士人名抄録」高城書房
  • 鹿児島県高等学校歴史部会「大石兵六夢物語」南日本出版文化協会
    同書の『毛利正直小伝』は正直の子孫より提供された毛利氏系図と「抄名墓録」を参考にしたもので、「さつまの姓氏」の「常盤流」毛利氏の略系図は『毛利正直小伝』を原典として記載されたものである。
  • 「旧記雑録拾遺 伊地知季安著作集六」の『南聘紀考 下』