民族主義者国民連合
民族主義者国民連合 英語: Nationalist People's Coalition タガログ語: Koalisyong Makabayan ng Bayan | |
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創立者 | エドゥアルド・コフアンコ・ジュニア |
議長 | ティト・ソット |
党首 | マーク・コフアンコ |
院内総務 | ジャック・ドゥアヴィット |
広報担当 | マーク・エンヴァーガ |
広報担当 | マーク・ランドロ・メンドーサ |
創立 | 1992年[1] |
分離元 | 国民党 |
本部所在地 |
マニラ首都圏1605、パシッグ市 サン・アントニオ、メラルコ通り 808 Building |
機関誌 | NPC Herald |
政治的思想 |
フィリピン・ナショナリズム 保守主義[2][3][4] 社会保守主義[5][6] |
政治的立場 | 中道右派[7][8] |
国内連携 |
Nationalist People's Coalition (1995) LAMMP (1998) PPC (2001) K4 (2004) TEAM Unity (2007) Team PNoy (2013) PGP (2016) Hugpong ng Pagbabago (2019) UniTeam Alliance (2021–2024) Alyansa para sa Bagong Pilipinas (2024–present) |
公式カラー | 緑, 赤, 白 |
元老院 議席 |
5 / 24 |
代議院 議席 |
38 / 316 |
公式サイト | |
npc-party | |
フィリピンの政治 フィリピンの政党一覧 フィリピンの選挙 |
民族主義者国民連合(みんぞくしゅぎしゃこくみんれんごう、英語: Nationalist People's Coalition、タガログ語: Koalisyong Makabayan ng Bayan、NPC)は、1992年に大統領候補者となったダンディング・コフアンコが創設したフィリピンの保守政党。
歴史
[編集]1992年
[編集]NPC 結成のきっかけは、1991年に、それまで国民党に所属していたリサール州の元知事イシドロ・ロドリゲスの率いる一派が、1992年の大統領選挙を前に、党首であり、副大統領であったサルバドール・"ドイ"・ラウレルと意見が対立して、党を離れたことにあった。NPCは、産業界を含む市民社会の一員として、「ダンディングの友 (Friends of Danding)」を自称し、フェルディナンド・マルコスのかつての盟友で、政治的大物であったダンディング・コフアンコに大統領選挙への出馬を要請し[7]、元老院議員だったジョセフ・エストラーダが副大統領候補になった。コフアンコは、大統領選挙で3位に終わったが、エストラーダは地すべり的勝利をおさめた[10]。
1998年
[編集]NPC は、1998年の大統領選挙において副大統領エストラーダを支持する政治組織として結成された民族主義フィリピン民衆の闘い (LAMMP) に参加した[11]。2001年1月に、エストラーダが失脚すると、NPC は LAMMP から離脱した[11]。
2001年
[編集]グロリア・アロヨが大統領となり、フィリピンの国会では、彼女を支持する、ラカスCMDを中心とした選挙共闘であったピープルパワー連合が優勢になった[12]。代議院では、75議席をもったラカスCMDを中心にサンシャイン連合が組まれ、61議席の NPC や、自由党をはじめ小規模政党の党員たちが、これに参加した[12]。フィリピン民主の闘い (LDP) は、20議席をもつ野党連合の中心であった[12]。
2003年、代議院で進められていた最高裁判所長官ヒラリオ・ダビデに対する弾劾が失敗した後、弾劾を支持していたおもに NPC 所属の議員たちが弾劾失敗に失望したことから、連合は崩れるだろうという噂が流れた[13]。この噂は広まり、代議院議長のホセ・デベネシアに対して不満をもつ一派もあり、議長の交代を求める動きが出てくるだろうとも言われた[13][14]。その後、NPC は、2004年の選挙では、選挙共闘から離脱すると宣伝し[15]、さらには、野党側に転じるのではないかとも噂された[16]。
2004年
[編集]2004年、LDP と NPC は、実業家ダンディング・コフアンコを、この年の大統領選挙における候補者として支持することにした[11]。しかし、NPC の議長であったコフアンコは、選挙から撤退した。この年の選挙で NPC は、元老院には議席を得なかったが、代議院では 53議席を獲得した[17]。
選挙結果
[編集]正副大統領選挙
[編集]年 | 大統領選挙 | 副大統領選挙 | ||||
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候補者 | 得票率 | 当選者 | 候補者 | 得票率 | 当選者 | |
1992年 | エドゥアルド・コフアンコ・ジュニア | 18.17% |
フィデル・ラモス (ラカスNUCD) |
ジョセフ・エストラーダ | 33.00% |
ジョセフ・エストラーダ (NPC) |
1998年 | (立候補なし) | ジョセフ・エストラーダ ({{仮リンク|フィリピン大衆の力|label=PMP|en|Pwersa ng Masang Pilipino]]) |
(立候補なし) | グロリア・マカパガル=アロヨ (ラカスCMD) | ||
2004年 | (立候補なし)[n 1] | グロリア・マカパガル=アロヨ (ラカスCMD) |
(立候補なし)[n 2] | ノリ・デ・カストロ (無所属) | ||
2010年 | None[n 3] | ベニグノ・アキノ3世 (自由党) |
ローレン・レガルダ | 12.21% |
ローレン・レガルダ (PDPラバン) | |
2016年 | (立候補なし)[n 4] | Rodrigo Duterte (PDP–Laban) |
(立候補なし)[n 5] | レニー・ロブレド (自由党) | ||
2022年 | (立候補なし)[n 6][18] | ボンボン・マルコス (PFP) |
ビンセンテ・ソット3世 | 15.89% |
サラ・Z・ドゥテルテ (ラカスCMD) |
代議院議員選挙
[編集]フィリピンの国会 | ||||||
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年 | 獲得議席 | 結果 | 年 | 獲得議席 | 公認 | 結果 |
1992年 | 30 / 200 |
LDPが過半数。 | 1992年 | 5 / 24 |
党単独 | LDPは、16/24 議席を獲得。 |
1995年 | 22 / 204 |
ラカス / LDP が過半数。 | 1995年 | 1 / 12 |
民族主義者国民連合 | ラカス=ラバン連合は、9/12 議席を獲得。 |
1998年[n 1] | 64 / 258 |
ラカスが過半数。 | 1998年 | 1 / 12 |
LAMMP | LAMMP は、7/12 議席を獲得。 |
2001年 | 40 / 256 |
ラカスが過半数。 | 2001年 | (不参加) | ピープルパワー連合 は、8/13 議席を獲得。 | |
2004年 | 53 / 261 |
ラカスが過半数。 | 2004年 | 0 / 12 |
KNP | K4は、7/12 議席を獲得。 |
2007年 | 28 / 270 |
ラカスが過半数。 | 2007年 | 2 / 12 |
党ごと | 純粋野党は、2/12 議席を獲得。 |
2010年 | 29 / 286 |
ラカスが過半数。 | 2010年 | 1 / 12 |
党ごと | 自由党は、4/12 議席を獲得。 |
2013年 | 42 / 292 |
自由党が過半数。 | 2013年 | 1 / 12 |
党ごと | チームプノイは、9/12 議席を獲得。 |
2016年 | 42 / 297 |
自由党が過半数。 | 2016年 | 1 / 12 |
Partido Galing at Puso | 正義の道連合は、7/12 議席を獲得。 |
2019年 | 37 / 304 |
PDP=ラバンが過半数。 | 2019年 | 1 / 12 |
党ごと | 改革のための連合は、9/12 議席を獲得。 |
2022年 | 35 / 304 |
PDP=ラバンが過半数。 | 2022年 | 4 / 12 |
党ごと | ユニチーム は、6/12 議席を獲得。 |
脚注
[編集]- ^ Guillermo, Artemio R. (2012). Historical dictionary of the Philippines (Third ed.). Scarecrow Press. p. 304
- ^ The Report: Philippines 2015. Oxford Business Group. (2015). p. 21
- ^ Tom Lansford, ed (2019). Political Handbook of the World 2018-2019. CQ Press. p. 1271
- ^ Dennis W. Johnson, ed (2010). Routledge Handbook of Political Management. Routledge. p. 361
- ^ Philippines. Facts On File. (1999). pp. 887
- ^ Perron, Louis (2009). Election Campaigns in the Philippines. Routledge. p. 361
- ^ a b Day, Alan John (2002), Political Parties of the World, John Harper Publishing, p. 377
- ^ Macaraeg, Pauline (January 27, 2019). “Who to Vote For? Get To Know the Political Parties in the Philippines”. Esquiremag.ph August 19, 2022閲覧。
- ^ Arcangel, Xianne (November 15, 2023). “PDP-Laban's membership dwindles, Lakas-CMD now dominant House party”. CNN Philippines. オリジナルのNovember 16, 2023時点におけるアーカイブ。 November 16, 2023閲覧。
- ^ NPC Party History Archived September 28, 2007, at the Wayback Machine. NPC website Retrieved December 17, 2006.
- ^ a b c Evangelista, Romie A. “Angara party roots for Danding”. Manila Standard Today. October 13, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月17日閲覧。
- ^ a b c “Background Note: Philippines”. United States Department of State (December 15, 2016). May 18, 2023閲覧。
- ^ a b “'Sunshine Coalition' bubuwagin sa 13th Congress”. Philstar.com (June 10, 2004). 2024年10月6日閲覧。
- ^ Romero, Paolo (November 12, 2003). “JDV belittles bid to unseat him as Speaker”. Philstar.com. 2024年10月6日閲覧。
- ^ Samia, Pamela (October 12, 2003). “NPC timetable set for 2004 polls”. Philstar.com. 2024年10月6日閲覧。
- ^ Romero, Paolo (October 6, 2003). “NPC rebuffs LDP: No decision on coalition yet”. Philstar.com. 2024年10月6日閲覧。
- ^ Introduction: Philippines CIA -The World Fact Book Retrieved December 10, 2006.
- ^ Gomez, Carla (2022年4月20日). “Sotto: NPC is free zone for choice of president” (英語). INQUIRER.net. 2022年5月20日閲覧。