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水無瀬氏成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
水無瀬 氏成
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 元亀2年10月27日1571年11月14日
死没 寛永21年9月17日1644年10月17日
改名 氏成→是空(法名)
官位 正二位権中納言
主君 正親町天皇後陽成天皇後水尾天皇明正天皇後光明天皇
氏族 水無瀬家
父母 父:水無瀬兼成、母:阿州足利
兄弟 氏成、女(大通寺従高室)
高倉永相の娘
兼俊七条隆脩、順応、女、女、水無瀬氏子後水尾天皇宮人)、女(松尾修理室)、女、女、女(加納十大夫室)、女(西郷藤左衛門室)
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水無瀬 氏成(みなせ うじなり)は、戦国時代から江戸時代公卿正二位権中納言[1]

生涯

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元亀2年(1571年)10月27日、水無瀬兼成の嫡子として誕生する。

だが、兼成が 高倉永家の四男・親具をすでに養子としていたため、その跡目をめぐって争いが起きた。結局、親具は水無瀬家を去り、別家となる堀河家を立ち上げた。

慶長12年(1607年)正月6日、従三位に叙される[1]

寛永19年(1642年)10月22日、出家し、是空と号す。

寛永21(1644年)9月17日、死去。

人物

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歌人として、『詠富士和歌』『水無瀬富士百首』などを詠んだ。また、著書『和歌当務抄』『隠岐記』を残している。

脚注

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  1. ^ a b 公卿補任

関連項目

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