水野勝進
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 文化14年11月28日(1818年1月4日) |
死没 | 明治6年(1873年)12月21日 |
改名 | 六平(幼名)、勝進 |
別名 | 藤十郎(通称) |
墓所 | 東京都港区三田の常林寺 |
官位 | 従五位下、左衛門尉、日向守、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府日光祭礼奉行、大坂城勤番 |
主君 | 徳川家斉→家慶→徳川家定定→家茂 |
藩 | 下総結城藩主 |
氏族 | 水野氏 |
父母 | 父:水野勝愛、母:青山幸完娘 |
兄弟 | 勝周、勝進、勝彬、松平信篤室、水野勝充室 |
妻 |
婚約者:成瀬正壽の娘 正室:親寚の3女 継室:植村家教の娘 |
子 |
勝寛(次男)、 養子:勝任(水野忠央次男) |
水野 勝進(みずの かつゆき)は、下総結城藩の第8代藩主。水野宗家13代。
生涯
[編集]文化14年(1817年)11月28日、第7代藩主水野勝愛の四男として江戸赤坂の藩邸で生まれる。兄が早世したため、世子に指名され、天保4年(1833年)12月16日に従五位下、左衛門尉に叙位・任官する。天保6年(1835年)5月21日、父の隠居で家督を継ぐ。6月5日に日向守に遷任する。
その後は日光祭礼奉行、大坂城勤番などの諸役を歴任し、天保11年(1840年)からは農村復興を主とした藩政改革に着手している。安政6年(1859年)5月6日、病気を理由に家督を養子の勝任に譲って隠居し、摂津守に遷任する。
しかし戊辰戦争で第10代藩主・水野勝知(勝任の養子で、陸奥二本松藩の第9代藩主・丹羽長富の子)が新政府と敵対したことから、官位を剥奪された。勝知が処罰された後、実子の勝寛を新藩主として擁立している。
明治6年(1873年)12月21日に死去した。享年57。
系譜
[編集]父母
正室、継室
婚約者
- 成瀬正壽の娘
子女
- 水野勝寛(次男)
養子