水野勝長
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝7年6月4日(1679年7月11日) |
死没 | 元禄16年12月22日(1704年1月28日) |
改名 | 数馬(幼名)、勝長 |
戒名 | 智兼了勇仁得院 |
墓所 | 東京都港区三田の常林寺 |
官位 | 従五位下、隠岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 能登西谷藩主→下総結城藩主 |
氏族 | 水野氏 |
父母 |
父:水野勝直、母:大出氏 養父:水野勝岑 |
兄弟 | 勝長、勝政 |
妻 | 正室:内田正衆の娘 |
子 | 養子:勝政 |
水野 勝長(みずの かつなが)は、能登西谷藩主、のちに下総結城藩の初代藩主で、5代で無嗣除封となった水野宗家の備後福山藩の初代藩主・水野勝成の曾孫。水野宗家6代。
生涯
[編集]延宝7年(1679年)6月4日、旗本水野勝直の長男として江戸で生まれる。
元禄11年(1698年)に福山藩の第5代藩主水野勝岑が早世したため、その養子となって水野家の名跡を継ぐことを許され、能登羽咋郡西谷に1万石を与えられる。
元禄12年、小姓並から小姓に進み、従五位下に任官し隠岐守を名乗る。
元禄13年、下総結城に転封となり、翌14年に3000石加増される。
元禄16年にはさらに5000石の加増があり、結城城築城を命ぜられ城主に列する。正室は鹿沼藩主・内田出羽守正衆の娘。
同年3月頃から病に倒れ、6月頃に一時的に回復したが、同年12月22日に江戸の神田橋邸で病死した。享年25。跡を弟で養嗣子の勝政が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 内田正衆の娘
養子
- 水野勝政 ー 実弟
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