水野忠武
表示
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 文政7年7月12日(1824年8月6日) |
死没 | 天保15年7月10日(1844年8月23日) |
改名 | 啓次郎・惣兵衛(幼名)、忠武 |
戒名 | 恒徳院道誉赫然曜武 |
墓所 | 東京都文京区小石川の伝通院 |
官位 | 従五位下、大和守、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 駿河国沼津藩主 |
氏族 | 水野氏 |
父母 | 父:水野忠義、母:よし |
兄弟 | 惣兵衛、忠武、忠良 |
妻 | 正室:毛利斉煕の娘・あき |
子 | 養子:忠良 |
水野 忠武(みずの ただたけ)は、駿河沼津藩の第4代藩主。沼津藩水野家11代。
文政7年(1824年)7月12日、第3代藩主水野忠義の次男として江戸浜町屋敷で生まれる。文政8年(1825年)に兄の惣兵衛が早世したため、天保5年(1834年)6月6日に世子として指名された。天保10年(1839年)12月18日に従五位下、大和守に叙任する。天保13年(1842年)、父の死去により家督を継ぎ、出羽守に転任する。
おりしも幕府では水野忠邦による天保の改革が始まり、祖父の水野忠成による幕政を否定する忠邦による粛清として、三河における新田開発など、様々な手伝い普請を幕命によって命じられ、藩財政難に陥った。
天保15年(1844年)7月10日に江戸外桜田屋敷で死去した。享年21。跡を弟で養子の忠良が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 水野忠義(父)
- よし ー 松村氏(母)
正室
- あき ー 毛利斉煕の娘
養子
- 水野忠良 ー 実弟