永井直貞
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永井 直貞(ながい なおさだ、慶長3年(1598年) - 寛文8年2月26日(1668年4月7日))は、江戸時代前期の旗本。永井直勝の三男。幼名は熊之助、通称は十左衛門。豊前守。兄弟に永井尚政(長男)、永井直清(次男)、永井直重(四男、式部少輔)、柴田康長正室、土屋利直正室、淳美友之室。室は山名豊政の娘。子に永井直孟、勝早。
慶長9年(1604年)、7歳の時徳川家光が誕生後すぐに、小姓として召し出された。元和元和9年(1623年)小姓組番頭となり豊前守に叙任し、同年武蔵国埼玉郡に1,000石を賜る[1]。寛永3年(1626年)、父の直勝が死去し、兄の尚政より遺領のうち上総国市原郡・長柄郡3300石を分与され、計4,300石の領主となる。万治元年(1658年)に直孟に家督を譲る。
注釈
[編集]- ^ 寛永3年5月に太田庄東村700石と須賀村300石にを与えられた。(記録御用書本古文書・国会図書館蔵)また、新編武蔵風土記では寛永元年とある。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』
- 『宮代町史 通史編』