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永井花子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永井 花子(ながい はなこ、1907年頃 - 1982年3月17日)は、日本の女子競泳選手。日本女子競泳の黎明期を代表する選手。

1925年(大正14年)の日本選手権水泳競技大会京都武徳会所属として50m自由形と100m自由形で優勝している。1927年(昭和2年)の1月には大阪毎日新聞の運動課へと入社し、記者として働いた[1]。同年の日本選手権では再び50m自由形で優勝している。このときの所属は浜寺水練学校

1982年3月17日、死去。74歳だった[2]

主な実績

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  • 1922年第1回大阪日本女子水上選手権大会(萬朝報社主催)[3] 50m自由形優勝 200m自由形優勝
  • 1923年第6回極東選手権競技大会[4] 50m自由形2位 100m自由形優勝(日本新)200m自由形2位
  • 1923年第2回全国女子競泳大会(萬朝報社主催)[4] 50m自由形優勝(日本新) 100m自由形2位 200mリレー優勝(日本新)
  • 1923年第2回日本水上選手権大会[4] 50m自由形(日本新) 100m自由形 200m自由形(日本新)
  • 1924年女子オリンピック大会[5] 50m自由形優勝 100m自由形(日本新) 200mリレー優勝(日本新)
  • 1924年第3回全国女子競泳大会(萬朝報社主催)[5] 50m自由形優勝 100m自由形(日本新) 200mリレー優勝(日本新)
  • 1924年第3回日本水上選手権大会[5] 50m自由形優勝 100m自由形優勝 200mリレー優勝(日本新)
  • 1925年第4回全国女子競泳大会(萬朝報社主催)[6] 50m自由形優勝 100m自由形優勝 200mリレー優勝
  • 1925年全国女子競泳大会(大阪健母会主催)[6] 200mリレー優勝(日本新) 400mリレー優勝(日本新)
  • 1925年第4回日本水上選手権大会[6] 100m自由形優勝(日本新) 200mリレー優勝(日本新)
  • 1925年第1回日本選手権第2回神宮水上競技大会[6] 50m自由形優勝 100m自由形優勝 

出典

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  1. ^ 油野利博「人見絹枝考」『鳥取大学教育学部研究報告. 教育科学』第16巻第2号、鳥取大学教育学部、1974年12月、183-212頁、CRID 1050578304504960384ISSN 02878011 
  2. ^ 日本水泳連盟『水連四十年史』1969年、259頁
  3. ^ “水泳 第15号”. 日本水泳連盟. (1932年12月27日). http://www.swim.or.jp/magazine/download/15.pdf 2019年9月18日閲覧。 
  4. ^ a b c “水泳 第16号”. 日本水泳連盟. (1933年2月27日). http://www.swim.or.jp/magazine/download/16.pdf 2019年9月18日閲覧。 
  5. ^ a b c “水泳 第21号”. 日本水泳連盟. (1933年12月1日). http://www.swim.or.jp/magazine/download/21.pdf 2019年9月18日閲覧。 
  6. ^ a b c d “水泳 第24号”. 日本水泳連盟. (1934年5月20日). http://www.swim.or.jp/magazine/download/24.pdf 2019年7月21日閲覧。 

外部リンク

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