永山古墳
永山古墳 | |
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墳丘全景(手前に前方部、右奥に後円部) | |
所属 | 百舌鳥古墳群 |
所在地 | 大阪府堺市堺区東永山園 |
位置 | 北緯34度34分6秒 東経135度29分13秒 / 北緯34.56833度 東経135.48694度座標: 北緯34度34分6秒 東経135度29分13秒 / 北緯34.56833度 東経135.48694度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長100m |
築造時期 | 5世紀(推定) |
陵墓 | 宮内庁治定(「百舌鳥耳原中陵」の陪冢) |
史跡 | 堺市指定史跡「永山古墳周濠」 |
地図 |
永山古墳(ながやまこふん)は、大阪府堺市堺区東永山園に所在する前方後円墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つで、世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- の構成資産の一部として登録されている。
宮内庁により第16代仁徳天皇の陵の「百舌鳥耳原中陵」の陪冢に治定されているほか、周濠は堺市指定史跡に指定されている。
概要
[編集]大仙陵古墳(百舌鳥耳原中陵)の北西約50メートルにあり、前方部を南に向けた前方後円墳である[1]。墳丘の規模は、長さ100メートル、後円部径63メートル、後円部高さ10.3メートル、前方部幅68.5メートル、前方部高さ10.3メートル[2]。墳丘西側のくびれ部分に造り出しがあり、葺石と埴輪があり[3]、墳丘は2段に見えるが、他の古墳よりも腰高であるため3段築成の可能性もある[1]。調査されていないため、構造の詳細は不明で、副葬品の内容や性格も分かっていないが、5世紀前半の築造と考えられる。周囲には濠があり、くびれ部の東側には濠をまたぐ渡り土手があるが、築造当時から存在するものかどうかは不明である[4]。1928年(昭和3年)に前方部西端の堤上から円筒埴輪(埴輪列の可能性あり)が出土したとされる[1]。2012年(平成24年)に管理用柵の設置工事の事前調査が行われ、東側の濠の範囲を確認し、周濠の肩は近世以降に改変を受けたことが判明[2]。また、東側の周濠の堆積層の下層に永山古墳の遺構が良好に残されている可能性があることが確認されている[2]。前方後円墳の墳端および周濠が良好に残され、隣接する大仙陵古墳(百舌鳥耳原中陵)より先に築かれた可能性が高いと考えられている[2]。大仙陵古墳(百舌鳥耳原中陵)の陪塚として宮内庁により管理されているが、形態や規模が大きいいことから独立の古墳であると考えられている[3]。江戸時代には「長山塚」、「長山」とよばれ、また王仁や、日本武尊の墓とする伝承もある[1]。周濠の南側に接して大阪府道2号大阪中央環状線が周濠の一部をまたぐように通る[3]。
規模
[編集]古墳の規模は次の通り[2]。
- 墳丘長100メートル
- 後円部直径63メートル。高さ10.3メートル。
- 前方部幅68.5メートル。高さ10.3メートル。
文化財
[編集]堺市指定史跡
[編集]- 指定名称:永山古墳周濠 - 2016年(平成28年)4月11日指定[2]。
世界遺産
[編集]2019年(令和元年)7月6日に世界文化遺産 百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群- を構成する百舌鳥古墳群の構成資産の一部として登録されている[5][6][7]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 古墳群 2014, p. 14.
- ^ a b c d e f “永山古墳周濠”. 堺市役所文化観光局文化部文化財課. 2021年11月14日閲覧。
- ^ a b c “永山古墳 【世界文化遺産 構成資産】”. 堺市役所文化観光局博物館学芸課. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “永山古墳/国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “世界遺産/文化遺産オンライン”. 文化庁. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “世界遺産/百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群/国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2021年11月14日閲覧。
- ^ “百舌鳥エリア古墳リスト/百舌鳥・古市古墳群”. 百舌鳥・古市古墳群世界遺産保存活用会議. 2021年11月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村隆文 「永山古墳」『日本古墳大辞典』 株式会社東京堂出版 1989年 428頁
- 堺市文化観光局文化部文化財課 編集『百舌鳥古墳群 -堺の文化財- 第7版』堺市文化観光局文化部文化財課、2014年。
外部リンク
[編集]- 永山古墳【世界文化遺産 構成資産】 - 堺市文化観光局博物館学芸課
- 百舌鳥古墳群リスト(詳細ページ) - 堺市文化観光局文化部世界遺産課
- スポット詳細:永山古墳|堺観光ガイド - (公社)堺観光コンベンション協会