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永野彰子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永野 彰子(ながの あきこ、1964年8月1日[1] - )は、南海放送アナウンサー。愛媛県出身。南海放送グループの株式会社RNBコーポレーション代表取締役社長も務める[2]

人物・来歴

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愛媛県立松山南高等学校、松山商科大学(現・松山大学経営学部経営学科卒業[1]後、1988年南海放送に入社。

一時期、永野あきこと彰子を平仮名表記にしていたことがあった。その理由は、社内でも彰子を『影子』と書き間違われたりすることがあったためだからという[1]。その『影子』は現在、RNBの公式ブログのタイトルにもなっている。

大学生時代は落語研究会に所属しており、当時の高座名は「可愛家なっぱ」(本人曰く、当時はまだ「瑞々しかった」ということから)[3]。施設の慰問などで色々話をすることで人とのコミュニケーションに興味を持ち、それがアナウンサーになるきっかけとなった[1]

その後も『落語を聞くこと』が趣味の一つとなっている。ラジオ番組に出演していた時は、イベントでリスナーの前で落語を披露していたときもあった。しかし『本当は下手』と本人が言っていたこともある[1]

大学時代、NHK松山放送局製作の四国ブロック放送「今夜は四国が見えてくる」のコーナー「白羽の矢」の愛媛県担当のレポーターとして出演。 NHK松山放送局開局50周年記念番組「愛媛にテレビが来て半世紀」(2007年05月26日放送分)で「白羽の矢~燧灘編」(1985年11月26日放送分)のVTRが流れ、 自身、そのVTRが流れる事をRNBの公式ブログ「影子」(2007年05月24日更新分)でさりげなく紹介していた。

1998年から2001年までラジオ制作部に配属。その後アナウンサーに復帰した。2009年2月19日の人事異動で、放送業務本部アナウンス室副部長に就任[4]。同年3月30日から放送を開始したNEWS チャンネル4のキャスターを2013年9月まで担当した。

2013年9月の人事異動でアナウンスの現場から一旦離れ[5]、広報視聴者センター[6]で部長職を務めていたが、2016年1月の人事異動[7]でラジオセクションで現場復帰した。

2018年7月[8]より、グループ会社「RNBコーポレーション」の代表取締役社長に就任。

1993年当時は局内で「南海放送の荻野目ちゃん」が愛称で呼ばれていたことがあった[3]。白猫を飼っている愛猫家である。

担当番組

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テレビ
ラジオ

過去の担当番組

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テレビ
  • わいわい!サタデー
  • まどんな倶楽部
  • 1616カフェ

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e 月刊ラジオパラダイス 1990年1月号 p.25「美人アナウンサーHOT SHOT! Vol.5」
  2. ^ 会社概要│RNBコーポレーション株式会社”. RNBコーポレーション株式会社. 2020年2月12日閲覧。
  3. ^ a b FLASH EXCITING 1993年3月29日増刊号「若手美人アナウンサー大名鑑」p.35
  4. ^ 人事異動のお知らせ2009年2月19日 南海放送
  5. ^ 人事異動のお知らせ2013年9月2日 南海放送
  6. ^ 人事異動のお知らせ2014年2月4日 南海放送
  7. ^ 人事異動のお知らせ2013年9月2日 南海放送
  8. ^ 第87期決算および新役員体制・人事異動のお知らせ”. 南海放送 (2018年5月28日). 2018年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月19日閲覧。

外部リンク

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