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江原芳平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

江原 芳平(えはら[1]/えばら[2] よしへい、嘉永元年9月12日[3][4][5]1848年10月8日) - 1928年昭和3年)2月19日[1][4][5])は、明治から大正時代の政治家実業家銀行家貴族院多額納税者議員。幼名は治三郎[2][4]

経歴

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上野国[1]群馬郡前橋新町[6]群馬県東群馬郡前橋町字新町を経て現前橋市)出身。「穀芳」として知られた[6]江原芳右衛門の三男[注 1]として生まれる[2][6][4]

1873年明治6年)父が死去し家業を継ぐ[5]。芳平と改名[4]

1876年(明治9年)群馬県庁を前橋に移転するため2千円を寄付する[5]

1879年(明治12年)天原社(製糸業)を設立し社長となる[2][5]

1880年(明治13年)第二国立銀行取締役[5][7]

1882年(明治15年)には群馬県会議員に当選し[1][4]、3期在任した[6]。ほか、群馬県主催一府十五県連合共進会評議員、同常議員[1]、群馬銀行頭取、前橋商業会議所初代会頭などを歴任した[2]

1911年(明治44年)群馬県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[8]から1918年(大正7年)9月28日まで在任した[1]

1916年(大正5年)8月、勲四等瑞宝章叙勲[5][4][9]

1921年(大正10年)12月、紺綬褒章受章[4][10]

親族

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  • 妻 屋濃子(松井喜平義宣の娘) - 明治45年没
    • 長女 富子 - 明治39年没、初代江原桂三郎の前妻
    • 長男 芳右衛門(幼名 幾太郎) - 明治19年没
    • 三女 豊子 - 初代江原桂三郎の後妻[3]
    • 次男 栄次郎 - 大正10年没
    • 三男 三郎
    • 四男 邦次
    • 五男 尚吾

芳平には6男4女があったが、豊子、三郎、邦次、尚吾の4人を除き芳平より先に死去している[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第4版』え1頁では二男。

出典

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  1. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1960, 183頁.
  2. ^ a b c d e 竹内ほか 1994, 215頁.
  3. ^ a b 『人事興信録 第4版』え1頁。
  4. ^ a b c d e f g h 豊国 1940, pp. 47–49.
  5. ^ a b c d e f g h 豊国 1928, pp. 29–41.
  6. ^ a b c d 『群馬新百科事典』89頁。
  7. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年12月2日閲覧。
  8. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年12月2日閲覧。
  10. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年12月2日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 豊国, 義孝 編『上毛及上毛人』131号、上毛郷土史研究会、1928年3月1日。 
  • 豊国, 義孝 編『上毛及上毛人』277号、上毛郷土史研究会、1940年5月1日。 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 竹内理三ほか 編纂『群馬県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典10、角川書店、1994年。ISBN 4040021002 
  • 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。

関連項目

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