江口理代
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1976年2月5日(48歳) | |||
出身地 | 宮崎県宮崎市 | |||
ラテン文字 | Masayo Eguchi | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 63kg | |||
選手情報 | ||||
愛称 | リー | |||
ポジション | WS | |||
指高 | 221cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 303cm |
江口 理代(えぐち まさよ、1976年2月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
来歴
[編集]宮崎県宮崎市出身。中学校1年生からバレーを始め、宮崎日大高校から鹿屋体育大学を経て、鳥栖久光に所属するまでは高校の教員をしていた。久光製薬スプリングスではチーム屈指のマルチプレーヤーとして第8回Vリーグ優勝に貢献。2004年久光退団後、故郷宮崎県で会社勤めをしていたが、2005年当時の監督アリー・セリンジャーに請われてパイオニアレッドウィングスで現役復帰し、同年の第12回Vリーグ優勝に貢献した。
2006年、全日本代表候補に選出されたが、膝の故障を理由に辞退している[リンク切れ]。
2008年5月、パイオニアを退団し、現役引退した。
プレースタイル
[編集]この元女子バレーボール選手のプレースタイルに関する文献や情報源が必要です。 (2014年4月) |
攻守両面にわたって、全てのプレーにおいて高い水準で安定したパフォーマンスを披露する。派手さはないがチームにとって欠かすことのできないオールラウンドプレイヤーである。
人物・エピソード
[編集]- 宮崎日大中入学当時、同校には女子バレー部員がいなかったが、ひとりきりでバレー部に入部し、付属高校の部員とともに練習をしていた。しかも、バレーを始めたのは中学1年からである。
- 教員時代に熊本選抜のメンバーとして国体で優勝した経験がある[1]。
- ポジションは主にレフト・ライトであるが、久光在籍時にはリベロも経験していた。
所属チーム
[編集]- 宮崎日大中・高
- 鹿屋体育大学
- 久光製薬鳥栖(1999-2001年)
- 久光製薬スプリングス(2001-2004年)
- パイオニアレッドウィングス(2005-2008年)
脚注
[編集]- ^ http://www.japan-sports.or.jp/Portals/0/images/archives/01_kokutai.pdf (PDF, 国民体育大会競技記録集 513ページ)