江崎孝坪
江崎 孝坪 | |
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生誕 |
1904年6月15日 長野県上伊那郡高遠町 |
死没 |
1963年6月27日(59歳没) 東京都目黒区 |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 日本画 |
影響を受けた 芸術家 | 前田青邨 |
江崎 孝坪(えざき こうへい、1904年6月15日 - 1963年6月27日)は、長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身の日本画家。本名は江崎 孝平。歴史人物画を得意とした。
生涯
[編集]1904年6月15日に長野県上伊那郡高遠町(現・伊那市)に生まれ[1]、画家を志して15歳の時に東京に出た[2]。呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬[1]に大和絵を学んだ[3]。1927年(昭和2年)には第8回帝展で「晩秋」が初入選[1]。
1933年(昭和8年)に龍岬が死去すると、今度は前田青邨に師事した[1]。1940年(昭和15年)に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。 1941年(昭和16年)の第4回新文展では「撃て」が特選に選ばれた[4]。
1947年(昭和22年)の第3回日展では「像造」が特選[1]。戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した[1][3]。『七人の侍』では1957年の第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている[2][5]。
1963年6月27日、目黒区の自宅で死去した[1]。死因は脳軟化症[1]。江崎家の菩提寺は高遠にある建福寺であり、1950年(昭和25年)に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈している[3]。
1992年4月から5月には長野県信濃美術館・東山魁夷館で「近代の歴史画展 江崎孝坪と武者絵の系譜」が開催された。2009年10月から11月には長野県伊那文化会館で「歴史画家 江崎孝坪の仕事展」が開催された。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 江崎孝坪 東文研アーカイブ