大江戸百貨店
大江戸百貨店(おおえどひゃっかてん)は、樺太庁豊原市(現ユジノサハリンスク)にあった百貨店。正式な名称は「丸越江戸っ子呉服店豊原本店」。
後に「豊原三越百貨店」(現サハリンデパートユジノサハリンスク本店[1])、および日本国籍に帰化した白系ロシア人が起業した「ウラジロミフカ百貨店豊原本店」が開店するまで、樺太唯一の百貨店だった。
概要
[編集]愛知県一宮市出身の寺澤代三郎が開業[2]。店舗建物は1925年(大正14年)に「越澤呉服店」として竣工。設計者は豊原市公会堂[3]の設計も手掛けた後藤種助説が有力。
場所は豊原大通り(現レーニナ通り)および南二丁目通り(現クリーリスカヤ通り)が交差する南西側角地区画で、南方に隣接する区画には、平屋建ての個人商店を数軒挟んだ形で北海道拓殖銀行豊原支店(現サハリン州立美術館)が立地していた。
外観はロココ建築様式に近く、鉄筋コンクリート3階建てで屋上にドーム型尖塔屋と屋外展望台があり、旧南樺太のみならず樺太全体でも最大の高層建築物であった。後[いつ?]に後継者が京呉服と日本人形に特化する形で事業を縮小し、店名はそのまま豊原大通南一丁目へ移転した。
初代店舗建物の主なフロア構成
[編集]階 | フロア概要 | ||
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4階(ドーム型尖塔屋)・屋上 | 屋外展望台
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3階 |
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2階 |
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1階 |
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初代店舗建物のその後
[編集]昭和恐慌や世界恐慌の影響を受けて閉店後、初代店舗建物は戦中に(特徴だったドーム型尖塔屋を撤去し)樺太庁警察部豊原警察署として再利用されていた。
旧ソ連により接収後、海産物缶詰専門の大手国営チェーン「アキェアーン(ロシア語表記:Океан。「海洋」のロシア語訳)」ユジノサハリンスク支店(初代)建物として1976年(昭和51年)頃まで再利用され続けた。(アキェアーン ユジノサハリンスク歴代支店写真集 画像HP(Старый Сахалин))、(1968年に撮影された空撮画像(右端の上下中央に「北海道拓殖銀行豊原支店(現サハリン州立美術館)」。間に植樹された公園(豊原市時代は平屋建て個人商店建物群)を挟み、ドーム型尖塔屋撤去後の黒っぽい建物が丸越江戸っ子呉服店豊原本店)))
1977年(昭和52年)、現在の二階建て建物に全面建て替えし、ペレストロイカ政策に伴い企業活動の規制緩和が進んでいた1997年(平成9年)、民営化された[4]。
現在は大手ショッピングモール化も進み、地階にはユジノサハリンスク市内大手のDVDショップチェーン店も入居。
丸越江戸っ子呉服店(大江戸百貨店)豊原本店(初代店舗)跡地には前述した「アキェアーン ユジノサハリンスク支店(二代目店舗)」の他に「ロシア民間防衛問題・非常事態・自然災害復旧省極東地域センター・ユジノサハリンスク支部」が立地している。グーグル・ストリートビュー画像
脚注
[編集]- ^ “УНИВЕРМАГ САХАЛИН – УНИВЕРСАЛЬНЫЙ МАГАЗИН НАШЕГО ГОРОДА!”. УНИВЕРМАГ САХАЛИН. 2018年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年8月30日閲覧。
- ^ 「丸越江戸っ子呉服店」株券画像
- ^ 初代豊原市役所併設施設。後[いつ?]に焼失。
- ^ Торговый центр "Океан" празднует 20-летие и дарит скидки(09:33 7 марта 2017 SAKHALIN.INFO(ロシア語表記))
外部リンク
[編集]- 江戸っ子百貨店(archive.today) - 店舗建物画像あり。
- Южно-Сахалинск в 1950-х годах - 終戦から5年後の豊原市内定点観測ロシア人撮影カラー画像集HP。豊原警察署(戦中)建物(丸越江戸っ子呉服店豊原本店建物(初代)時代、屋上にあったドーム型尖塔屋は撤去されている)や北海道拓殖銀行豊原支店(現サハリン州立美術館)建物が並ぶ豊原大通り(上から4枚目~15枚目)や「御大典記念豊原市民公園(現ガガーリン記念文化公園)」など。
- History of city Yuzhno-Sakhalinsk (Toyohara), Sakhalin Oblast in photos - 欧米人による有りき日の豊原市内撮影画像集HP。カラー着色加工された(旧丸越江戸っ子呉服店(初代建物)や北海道拓殖銀行豊原支店(現サハリン州立美術館)も並ぶ)豊原大通り(現レーニナ通り)等も公開。