江藤純平 (画家)
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江藤 純平(えとう じゅんぺい、1898年3月25日 - 1987年11月16日)[1][2][3]は、日本の洋画家。
経歴
[編集]大分県臼杵市出身[2][3]。1918年に東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科に入学し、岡田三郎助や片多徳郎に師事した[2][3]。1923年に東京美術学校を卒業した[2][3]。
1923年の第5回帝展に出品した「アトリエにて」が初入選した[3]。1928年の第9回帝展に出品した「S氏像」と1929年の第10回帝展に出品した「F君の像」は2年連続特選となった[3]。1933年の第14回帝展に出品した「室内裸婦」も特選を受賞した[3]。
1932年ロサンゼルスオリンピックの芸術競技に"The Rugger"(和題不明)を出品した[4]。
1937年に光風会に会員として参加した[3]。1969年の第1回改組日展に「小豆島」を出品し、内閣総理大臣賞を受けた[1][2][3]。
1987年11月16日に脳出血のため、東京都三鷹市の杏林大学病院で死去した[3]。第19回日展に出品した「古城址」が絶筆となった[2]。
画風
[編集]ポール・セザンヌに傾倒し、その影響を受けた[1][3]。その画風は「セザンヌの草書風」とも評された[3]。