池口慶三
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池口 慶三(いけぐち けいぞう[1][2]、1867年5月26日(慶応3年4月23日)[3] - 1933年(昭和8年)[4]12月1日)は、日本の薬学者。薬学博士[5][6][7]。正四位勲三等[7]。日本薬局方調査会会長[7]。日本薬剤師会顧問[7]。東京薬学専門学校長[8]。族籍は兵庫県平民[3][6]。
人物
[編集]但馬国七美郡(のち兵庫県美方郡村岡町[5]、現香美町)出身。池口吉兵衛の三男[3][5][8]。旧村岡藩士である[2]。1885年、家督を相続する[3][8]。1890年7月、帝国大学医科大学薬学科を卒業し[5]、薬学士の称号を得た[9]。
警視庁技師、衛生試験所技師、内務技師、特許局技師同検査官等歴任[8]。1907年11月、薬学博士の学位を授与された[3][7]。内国製薬常務取締役兼技師長をへて1927年、東京薬専校長となった[1]。著作に『日本薬局方通解』がある[1]。住所は東京市芝区白金猿町[3]、下谷区下根岸[5]、本郷区駒込上富士前町[8][10]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 池口家
- 父・吉兵衛(兵庫県平民)[6]
- 妻・せき(1876年 - ?、京都、松田甚八の妹)[8]
- 男・輝雄(1893年 - ?、医学博士)[8][10]
- 男・光雄(1895年 - ?)[3]
- 長女・英子(1897年 - ?、山形県人・長濵哲三郎の妻)[8]
- 女・ヨシ(1899年 - ?)[3][8]-
- 三男・武雄(1901年 - ?)[3]
- 三女・富子(1912年[3]あるいは1909年[6][8] - ?)
- 女・壽榮子(1913年 - ?)[8]
- 四男・文雄(1916年 - ?)[3][8]
- 五男・康雄(1918年 - ?)[8]
脚注
[編集]- ^ a b c 池口 慶三とはコトバンク。2016年11月4日閲覧。
- ^ a b 『日本現今人名辞典』い82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第5版』い175頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月9日閲覧。
- ^ 池口, 慶三, 1867-1933 - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
- ^ a b c d e 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』い144頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月4日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第6版』い151頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e 『薬業年鑑 昭和10年』223頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第9版』イ116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』417頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月4日閲覧。
- ^ a b 『薬業年鑑 昭和14年度』339頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月6日閲覧。
- ^ 『官報』第7377号「叙任及辞令」1908年2月1日。
参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』東京帝国大学、1886-1912年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 薬石日報社編纂『薬業年鑑 昭和10年』薬石日報社、1935年。
- 薬石日報社編『薬業年鑑 昭和14年度』薬石日報社、1938年。