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池田めぐみ (フェンシング選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池田めぐみ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
所属 山形県体育協会
誕生日 (1979-08-01) 1979年8月1日(45歳)
出身地 山形県南陽市
獲得メダル
フェンシング
第16回アジア競技大会
2010 女子エペ団体

池田 めぐみ(いけだ めぐみ、1979年8月1日 - )は、山形県南陽市出身の元フェンシング選手。旧姓は原田[1]東京女子体育大学卒。筑波大学大学院修了[1]

YAMAGATA ATHLETE LAB.(ヤマガタアスリートラボ) 創業者、代表[2][3]

日本アンチ・ドーピング機構(JADA)アスリート委員[4][5]

人物

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  • オリンピックに目覚めたのは5歳の時で、ロサンゼルスオリンピックの入場行進を見て、「私も行きたい」と感動[1]。中学校は陸上部に所属し、三種競技(走り高跳び・100m・砲丸投げ)で山形県大会・東北大会で優勝[1]
  • 高校は県の進学校の名門山形県立米沢興譲館高等学校に入学、今度はフェンシング部に所属、きっかけは姉がフェンシング部の選手だったので、顧問の先生に誘われたからである[1]。すると3年生の時にインターハイで4位に輝き[6]、フェンシングジュニア世界選手権に出場。
  • 両親から大学は地元の医科系の大学に進もうと考えたら、東京女子体育大学に入学。しかし両親は反対した[6]。挫けずにフェンシングでの猛練習を励み、インターカレッジでエペ個人2年連続優勝・2001年アジア選手権エペ個人3位・2003年から2005年の全日本選手権はエペ個人で3連覇、努力が実り、アテネオリンピック日本代表なり、2回戦で敗退した。
  • 大学院を修了後、2006年に地元に戻り山形県体育協会(現・山梨県スポーツ協会)スポーツ技術員に就任[7]、11月に右足十字靭帯断裂で手術、2007年に復帰[8]、その年の7月中旬に亀田興毅大毅の異種スパーリングに参加した[9]
  • 2008年北京オリンピックにアジアオセアニア大陸別代表選考会で優勝、2度目の出場、初戦のオーストラリアのパーキンソン選手と15対9で勝利、2回戦は銀メダリストのルーマニアのブランサ選手と15対11で敗れ、個人のエペ部門で日本人最高の15位だった[10]。ブランサは2008年8月14日時点で世界ランキング1位。
  • 2009年の結婚して休養、その後復帰となり、2010年第16回アジア競技大会フェンシング女子エペ団体(中野希望下大川綾華)で金メダルを獲得。期待したが、2011年のアジア選手権後に乳がんと診断、8月に手術を行い成功したが、現役続行は難しいと判断、12月に引退した[10]

その他の出場歴

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役職

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参考資料

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脚注

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  1. ^ a b c d e アスリートライブ(池田めぐみ)
  2. ^ https://yonezawakojokan.info/2023/02/24/h10ikeda-7/
  3. ^ https://yamagata-athlete.com/about
  4. ^ JADAアスリート委員 池田めぐみさんがアジア大会優勝!!
  5. ^ https://www.playtruejapan.org/jada/organization/committee.html
  6. ^ a b 公益財団法人日本アンチドーピング機構(インタビュー・池田めぐみ)
  7. ^ スポーツのこころプロジェクト(池田めぐみ)
  8. ^ a b 日刊スポーツ(2008年北京オリンピック)
  9. ^ 楽天ブログ
  10. ^ a b 朝日新聞(2011年12月11日)
  11. ^ 国立スポーツ科学センター