池田友政
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 慶安3年(1650年) |
死没 | 宝永元年9月26日(1704年10月24日) |
別名 | 修理(通称) |
官位 | 従五位下筑後守 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
氏族 | 池田氏(長吉流) |
父母 | 池田長信、朝比奈氏 |
兄弟 | 友政、利重、分部信政 |
妻 | 安部信秀娘 |
子 |
政応、政相、政長、雨宮正景、荒尾成庸、荒尾成令、甚九郎、坪内定次、 神尾元陳室、三枝守秀室 |
池田 友政(いけだ ともまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。通称は修理。官位は従五位下・筑後守。
略歴
[編集]明暦2年(1656年)11月5日、遺領を継ぐ。小普請となる。この時、弟・利重に300石を分与し、所領は700石となった。寛文7年(1667年)11月21日、書院番に列し、延宝8年(1680年)2月6日、小姓組の組頭となった。天和2年(1682年)4月21日、上野国山田郡・下野国足利郡のうちにおいて500石を加増され、所領は1200石となった。元禄3年(1690年)1月11日、新番頭となり、翌年(1691年)11月1日、桐間の番頭となり、さらにその翌年(1692年)の12月2日には、従五位下筑後守に叙任した。
宝永元年(1704年)9月26日、死去。55歳。跡を子・政応が継いだ。
系譜
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