池田斉衆
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化9年4月4日(1812年5月14日) |
死没 | 文政9年3月14日(1826年4月20日) |
改名 | 乙五郎(幼名)、斉衆 |
戒名 | 英俊院殿雄山全機大居士 |
官位 | 従四位上侍従、民部大輔 |
藩 | 因幡鳥取藩世嗣 |
氏族 | 徳川将軍家→因州池田家 |
父母 |
徳川家斉、皆春院 池田斉稷 |
兄弟 |
清湛院、徳川家慶、徳川敦之助、峰姫、 徳川斉順、浅姫、徳川虎千代、元姫、 徳川斉明、文姫、徳川斉荘、盛姫、斉衆、溶姫、和姫、松平斉民、末姫、喜代姫、 徳川斉温、松平斉良、永姫、徳川斉彊、 松平斉善、蜂須賀斉裕、松平斉省、 松平斉宣、泰姫ら26男27女 |
妻 | 池田斉稷娘 |
池田 斉衆(いけだ なりひろ) は、江戸時代後期の因幡国鳥取藩の世嗣。官位は従四位上・侍従、民部大輔。
略歴
[編集]江戸幕府11代将軍・徳川家斉の十三男として誕生。12代将軍・徳川家慶の異母弟。
文化14年(1817年)鳥取藩主・池田斉稷の婿養子となり、文政7年(1824年)元服・叙任する。しかし、文政9年(1826年)疱瘡のため家督を相続することなく死去した。享年15。
代わって養父・斉稷の次男・斉訓が嫡子となった。