池田薫彰
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永10年(1633年) |
死没 | 寛文3年1月30日(1663年3月9日) |
改名 | 新吉(幼名)、薫彰 |
別名 | 右京(通称) |
戒名 | 梅岳院殿覚源英徹大居士 |
墓所 | 兵庫県たつの市宮内の梅岳寺 |
官位 | 従五位下越前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 播磨新宮藩主 |
氏族 | 池田氏(重利流) |
父母 | 池田重政 |
兄弟 |
源六、薫彰、公彰、西尾盛教室、 坪内定長正室、布施官兵衛室 |
妻 | 戸川正安娘、加藤明成娘 |
子 | 邦照、重教 |
池田 薫彰(いけだ てるあき)は、江戸時代前期の大名。播磨国新宮藩3代藩主。下間系池田家3代。
略歴
[編集]池田重政の次男。
慶安4年(1651年)に父が死去したため、翌承応元年(1652年)に家督を継いだ。寛文3年(1663年)1月30日に31歳で死去した。